昭和の航空自衛隊の思い出(209)  小松における育友会等活動

1.串小学校育友会報・「夏休み三知」

 昭和50年から52年小松基地に勤務した折の資料を整理していたら、子供がお世話になった串小学校の育友会(PTA)会報が出てきた。発行日が昭和52年7月14日であるところから夏休みを控えて、「夏休み三知」という題で小文を寄せている。

 会報は四半期に一回程度発行していたようで、私が育友会でどんな役割をしていたので覚えていない。投稿をしているところからすると何らかの役割を担って活動してたのかもしれない。 

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《 子どもたちの夏休みの過ごし方と意義について、自分の子供時代と重ね合わせて、「親を知る」、「自然を知る」、「友を知る」と「夏休み三知」を綴ったものである。今の親たちはどのように夏休みについて思っているであろうか。 》

 

2.子供剣道の「九思剣友会」の世話人

 小松基地在勤間、次男が子供剣道クラブに入っていた。このクラブは「九思剣友会」といい、男女の混じったちびっこ剣士約50名であった。野立町官舎に居住する子供が多数参加しており、世話人を担当したことがある。

 剣道の先生は数人の自衛官の有段者である達人たちが熱心に教えていた。他との試合に一緒に出かけたことが思い出される。

 仕事の関係で、私自身は直接参観などできず子供のことに関わっていないといいながら、結構出来る範囲でいろいろな面でかかわっていたようだ。

 

3.部隊勤務における地域活動

 家族を持ってからの部隊勤務は、厳しい勤務とはいえ、時間的に余裕があったように記憶している。若い時代における第一線のレ-ダ-サイト勤務はクル-を組んでの24時間の交代制勤務であったことから、オフの時間がはっきりしており厳しさの中に融通性があった。緊急事態がない限りシフト勤務体制を維持して進んでいたからであった。

 司令部勤務は、専門幕僚であり、通常の勤務をしながら常時対応できる体制を維持していたので、地域活動面ではある程度の制約を受けることになった。

 その点、小松基地のように航空基地における司令部勤務は、地域活動も可能であった。こうしたことから町内会・自治会、十年会、PTAなどの地域活動に関わることができた。自衛隊勤務を中心に地域に関わる活動が自衛官生活を豊かにしてくれた。