昭和の航空自衛隊の思い出(163) 指揮幕僚課程で得たもの

 1.創造力の練磨と論理的思考の向上

    指揮幕僚課程で学んだものは、課程の目的である上級指揮官及び幕僚としての資質のかん養及び基礎的な識能の向上を図ることにあった。当然に1か年の教育で指揮官道・幕僚道の理念の確立、軍事能力特に戦術能力の向上、社会科学、科学技術を基礎とする広い視野に立った航空部隊の運営に関する識能が向上したものと確信する。

    何といっても、部隊勤務から離れて、自由な発想で物事を考え、論理的に考察する機会を与えられたことが最高の成果であった。

2.人格識見・資質能力に優れた幹部の存在

 指揮幕僚課程において、防衛大学校卒業者を含めて、人格識見及び資質能力に優れた優秀な幹部が存在することを確認することとなった。出身期別の異なる学生構成から階級・年齢等に関係なく、学生の中には自分など足元に及ばない優秀な人材の集まりであることを認識した。

    一年間、各種の課題作業、演習、校外研修などを通じて、全体の中での自己の能力の程度、優れた点と劣る点など「己を知る」機会となった。

 このことは、自分の立ち位置を認識したことであり、自衛隊勤務で進むべき方向に大きな示唆を与えてくれた。

3.出身期別に関する固定観念の消化

 航空自衛隊の組織は、多くの人材の集団である。初級幹部の頃は防大・一般大学等出身の若手の幹部と一緒に仕事をし練磨に励んだ。私の意識の中には不思議なくらい、出身期別の意識はあまりなかったように憶えている。どこの学校を出たなど余り関心がなかった。

 その背景には、創設期の航空自衛隊において、第1期操縦学生から操縦免となり転進した空士長及び空曹時代は先輩後輩に囲まれて育ったせいか、さまざまの任用区分から登用された人材の集団であり、新隊員、操縦学生、生徒、技術空曹など多様であった。

   空曹時代から一般隊員の出身区分で資質能力を判断することはなかった。要は    当人の人格・意欲・実力を基本とした。部内幹候に進んでもそのの意識は変わらず、そのままであったように思う。それ相応の実力を持っているかどうかであった。

 幹部自衛官に任命されてからもその意識はそのままであった。強いて意識させられたときは初級・中級幹部の頃の昇任の時期ぐらいであった。2尉・1尉への昇任の時期になると出身区分の色分けで一斉昇任等により後輩期に追い越されていったからである。

 普段の勤務においては、末端部隊の人事の業務に従事していたこともあり、組織が経歴管理という人事管理の一定の方針もとで運用されていることを理解しており、反発心を持つことはなかった。

   指揮幕僚課程を経て得た宝は、一つのハ-ドルを越えたせいか昇進等を超越して、出身期別に関する固定観念が全くなくなったことであった。そのことは、人事幕僚として公正な業務処理に資することにつながっていった。 

4.指揮幕僚課程における仲間意識

 指揮幕僚課程の40名の一人として、一年間一緒に勉学に励んだ結果、防衛大学・一般大学、航空学生出身の同期生の中に優れた人材のいることをしっかりと認識することができた。幹部普通課程では感じなかった意識の変化があった。

 一年間、一緒に学生生活を送った最大の成果であったように思う。航空自衛隊の骨幹をなす幹部自衛官の屋台骨をなす防大・一般大学出身者の存在を競争相手といったちっぽけな意識ではなく、わが航空自衛隊を共に力を合わせて充実発展させる仲間であることを強く感じるようになった。

 指揮幕僚課程を卒業後から退官するまで、私の役割・使命をしっかりと認識して勤務に励むことができた。階級・昇任にとらわれず、ひたすら与えられた職務をいかに効果的に達成するかであった。わけても隊員の服務指導と准尉・空曹・空士隊員の処遇と人事管理等を長年にわたって自分が抱いている策案をどの段階でどのように取り組む機会を与えられるかどうかに関心があり、微力ながら貢献することになった。 

 一年間学んだCS同期からはあらゆる場面で協力支援を受けた。感謝の一語に尽きる

5.指揮幕僚課程終了による各種場面への参画

 指揮幕僚課程.の卒業成績はビリの方の評価であったと思われるが、成績に関係なく、課程を卒業したことが私に大きな機会を与えてくれた。操縦学生1期・部内幹候出身の幹部として、胸には何も着けないが指揮幕僚課程選抜試験の合格と課程の卒業は昔風で言うと「金賜勲章」のようなものであった。

 防大・一般大学卒の幹部にとっては、何でもないことであろうが、この「金賜勲章」の威力は自分の実力を離れて大きく作用することになった。部内幹候出身の1尉・3佐であれば参画させてもらえない事業であっても、あらゆる場面で企画討議の場に参画することができるようになった。

 同色の意見ではなく、別の視点・観点からの臆することなく意見を述べ、参画することができるようになり、意外に多くを取り入れてもらえたことであった。

 このことが、空曹・初級幹部時代から抱いていた、ぜひ取り上げてもらいたいと思っていた策案を堂々と幕僚として提案する機会が与えられるようになった。その意味では自衛隊生活の後半は心に残る充実した毎日であった。

6.課程卒業による上下と周りの信頼

 部内幹候出身者が指揮幕僚課程を卒業するのは少なかったせいか、部内一般の見方としては、目には見えない「金賜勲章」と「「珍しい」「異色」の存在という一面もあったように記憶している。

 私は、幸い上司・部下・同僚からは好意をもって迎えられ、何事に関しても「信頼」されたことが強烈に残っている。課程の成績評価にかかわらず、防大・大学出身の俊英の中で落伍せず頑張って卒業したことへの信頼であったであろう。

 人は年齢・階級・職位などにかかわらず周りから信頼されることほど奮い立つものはない。各種の幕僚業務に当たって、積極的な協力と多くを任され、策案を取り入れていただいた。チ-ムリ-ダ-としては最も恵まれた状況にあったといえるであろう。一緒に仕事をした皆さんに「足を向けて寝られない」といった感じであった。