昭和の航空自衛隊の思い出(156) 指揮幕僚課程の英語と体育

1.英語会話

 指揮幕僚課程では、毎週1回英語の時間があり、実用英語の理解力の向上が図られていた。主として会話訓練と軍事英語その他であった。当時の日本人の多くは、英語の読み書きは上手であったが、会話はあまり上手でないというのが一般的であった。

 私もその中の一人で、自衛隊入隊以来、第1期操縦学生基本課程、英語教育隊の英語課程、操縦準備課程の英語及び要撃管制幹部英語課程と英語はかなりの時間教育を受けたが、どちらかといえば英会話は得意な方ではなかった。

   しかし、要撃管制官として、米空軍の連絡将校と一緒に仕事をしたり、一カ月厚木米海軍基地の海兵隊移動警戒隊に連絡幹部として派遣されたこともあったことから職務遂行面で特に困ることはなかった。

 課程では、米軍将校夫人と令嬢及び英語教官を交えて英会話をする時間が設けられていた。また、語学研修で米軍住宅地区で子供たちの勉強ぶりを見学したりした。

 幹部学校の教室で私の前の席だった髙橋伸治1尉(防大6期)、は情報幹部だけあって、毎朝英字新聞を読んでいたのが印象に残っている。後年、駐ソ日本大使館防衛駐在官となる。全体的に語学に長けた学生が多く、永島修一郎3佐(防大3期)、森田忠信1尉(防大7期)は防衛駐在官として活躍した。

    当時も、指揮幕僚課程学生選抜1次試験に英語があった。航空自衛隊の創設期は米軍からの技術習得から英語能力を必要としていたが、今日は部隊任務上及び国際貢献活動の上からも語学能力は必須となってきた。受験の資格に所定の英語検定能力を保有することが求められているようであるが当然のことであろう。  

2.健康・体力維持と気分転換 

  指揮幕僚課程の選抜試験に身体検査がある。入校一年間にわたって健康及び体力の維持向上は、修学上必要不可欠であった。体育の時間が設けられていたが、体力練成というより私にとっては気分転換・息抜きの機会であった。

 体育の時間に体操・球技・野外走その他の中でも、運動靴・トレパンで駆け足をして市ヶ谷台から近くの靖国神社を訪れることがあった。普段は訪れないところを隅々まで探訪して驚くことがあった。

 その後、今日に至るまで東京に出た時には、必ず靖国神社に参拝し頭を垂れる習わしとなった。 

f:id:y_hamada:20150722212950j:plain 《 ㇻウエル中佐夫人と令嬢及び英語教官 》

 

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《 通学仲間の左 斎藤芳信3佐(防4)と私 》

 

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 《 語学研修、アメリカンスク-ルで状況説明を受けたり、子供たちの勉強ぶりを見学した。 》