❶ 指揮幕僚課程
部内幹候出身で指揮幕僚課程の選抜試験に挑戦したところ運よく合格し、昭和47年7月由緒ある東京市ヶ谷台の幹部学校における第21期指揮幕僚課程に入校し、一年間勉学に励んだ。
当時、指揮幕僚課程は、自衛隊部内はもとより世間一般でも「自衛隊において上級指揮官・幕僚の育成を目的として設置されている教育課程である。旧軍の陸軍大学校及び海軍大学校に相当する。」といわれていた。
航空自衛隊幹部学校の所在地は、創設期(浜松、防府)、建設期(小平)を経て、昭和34年10月発展期・市ヶ谷と変遷し、航空自衛隊の最高学府としての体制を確立し、目黒に移転現在に至っている。
航空自衛隊幹部学校において、第1期指揮幕僚課程が始まったのが昭和30年10月であった。翌31年10月には幹部高級課程及び幹部普通課程がスタ-トした。更に34年1月航空兵器課程、46年3月上級事務官等講習が設けられた。
したがって、私が入校した当時は幹部学校は創設以来17年で発展期にあった。
2.航空自衛隊幹部学校の概要
航空自衛隊幹部学校の概要については、目黒基地ホ-ムぺ-ジを開いて見た。
目黒基地概要〔目黒基地ホ-ムぺ-ジから出典)
目黒地区には、「防衛研究所」、「統合幕僚学校」、「陸上、海上、航空各自衛隊幹部学校」及び「技術研究本部艦艇装備研究所」等が所在しています。
安政4年(1857)に徳川幕府が砲薬製造所を設立したのが始まりで、その後海軍技術研究所、英連邦(豪軍)エビス
キャンプをへて技術研究本部第1研究所(現:技術研究本部艦艇装備研究所)の設置及び防衛研究所(防研)の霞ヶ関からの移転の後、平成6年に統幕及び陸海空幹部学校が市ヶ谷から移転し現在の形となりました。
航空自衛隊幹部学校の概要
任務
(1) 航空自衛隊の部隊の上級部隊指揮官又は上級幕僚としての職務を遂行するに必要な知識および技能を修得させる
ための教育訓練
(2) 教育訓練及び航空自衛隊における部隊の運用等に関する調査研究
(3) 目黒基地における基地業務の実施
組織
総務課、人事課、計画課、教育部、業務部、航空研究センター及びシステム管理室の3課2部1センター1室です。
沿革
幹部学校は、昭和29年浜松で新編され、防府及び小平を経て昭和34年市ヶ谷に移転、平成6年に目黒基地に移転して現在に至っています。
幹部学校の沿革
昭和 | 29年 | 8月 | (1954年) | 幹部学校創設(陸上自衛隊浜松駐屯地) |
9月 | 特別幹部課程教育開始 | |||
11月 | 幹部候補生課程教育開始 | |||
30年 | 2月 | (1955年) | 防府基地に移転 | |
9月 |
小平駐屯地に移転、幹部候補生学校に幹部候補生課程を移管 | |||
10月 | 指揮幕僚課程教育開始 | |||
31年 | 10月 | (1956年) | 幹部高級課程、幹部普通課程教育開始 | |
34年 | 1月 | (1959年) | 航空兵器課程教育開始 | |
12月 | 市ヶ谷基地に移転 | |||
35年 | 7月 | (1960年) | 指揮幕僚課程学生選抜試験委員会設置 | |
46年 | 3月 | (1971年) | 上級事務官等講習教育開始 | |
平成 |
4年 |
7月 |
(1992年) |
指揮幕僚課程に留学生受入開始 (大韓民国、タイ王国) |
6年 |
8月 |
(1994年) |
幹部高級課程に留学生受入開始 (大韓民国) |
|
10月 | 目黒基地に移転、基地業務担当 | |||
12年 | 1月 | (2000年) | 幹部上級課程(仮称)試行開始 | |
13年 | 3月 | (2001年) | 防衛庁目黒基地留学生会館竣工 | |
4月 | 幹部特別課程新設、航空兵器課程廃止 | |||
5月 |
幹部普通課程に留学生受入開始 (大韓民国) |
|||
7月 | 幹部特別課程教育開始 | |||
18年 | 4月 | (2006年) | システム管理室を新編 | |
26年 | 8月 | (2014年) | 研究部廃止、航空研究センター新設 |
教育課程等
課程名 | 期間 |
---|---|
幹部高級課程(AWC) | 約25週 |
幹部特別課程(AOC) | 約4週 |
指揮幕僚課程(CSC) | 約47週 |
幹部普通課程(SOC) | 約10週 |
上級事務官等講習(CAC) | 約8週 |
3.航空自衛隊幹部学校における教育
❶ 航空自衛隊の教育体系のあり方
昭和47年当時、私が学んだ指揮幕僚課程の教育はどのような考え方のもとで設けられかについて確認してみることにした。修学の内容は未だ鮮明に記憶にあるが、古いことで記憶が薄れて定かでないところもあるので、航空自衛隊幹部学校「25年のあゆみ」を参考にした。
「創設期には航空自衛隊の教育体系のあり方の研究・検討の過程で幾たびか、米空軍方式(SOC、ⅭS、AWCの3段階方式) ,旧海軍大学方式(戦技、経験豊富な大尉級選抜の2年教育)、旧陸軍大学方式(比較的若い中尉級の試験選抜による3年教育)の3案の取捨選択をめぐって議論沸騰したが、結局米空軍の示唆のもとに建設整備されつつあった航空自衛隊各学校の教育体系にマッチさせるため、米海軍大学方式が決定した。」と記録されている。
❷ 時代に適合した空自独特の教育
昭和29年航空自衛隊創設以来、部隊の建設が進むにつれて、「米空軍との連合による防衛を基調としつつも我が国のおかれた戦略的な地位と、わが国内外情勢とを勘案し、国情に最も適した防衛方策を樹立する段階にあり、教育も、航空自衛隊独自のものへと逐次移行していった」ことが伺える。「その後も航空自衛隊内外の諸情勢の変化に応じ、常に時代の趨勢に適合した教育実施を目指し、努力を続けていた。」
創設期における課程教育の考え方は、「米空軍大学方式を基本とし、陸幹校、海幹校の良い点を取り入れる。戦略・戦術のみでなく、その背景となる一般教育も行う。本質を追求し、合理的な思考をさせる教育を行う。このため講義にセミナ-あるいは合同作業方式を併用するものであった。」
❸ 考える教育・創造的思考力
第10代校長根来卓美空将は、教育の基調を「教える教育」ではなく、「考える教育」であるべきと、学生の思考力を助長する教育を強調された。
昭和45年度は、自衛隊創立20周年に当たり、沖縄復帰を含む第4次防衛力整備計画の具体化が進み、国防政策の二ついてない甲斐の関心が急速に高まった年であった。当時の時代背景としては、一般的に多極化時代、情報化時代など技術革新の波が世界の隅々まで押し寄せた。
このような情勢の中で 、航空自衛隊独自の戦略・戦術の創造、科学技術的要素の導入、国外との交流、学生に対する創造的思考力の付与が進められた。
《第10代校長根来卓美空将》
❹ 何年か先に役立つ教育
昭和47年7月、第13代校長に着任された岩崎亭空将のもとで、私は指揮幕僚課程に入校した。校長は着任早々、教育方針に関し、幹部高級課程は対象学生の将来が比較的短期間であることを考慮し、「卒業後ただちに役立つ教育」を、指揮幕僚課程は即効性より、「何年か先に役立つ教育」、すなわち知識より応用能力を付けさせる教育を示され、指揮幕僚課程における戦術応用研究の充実を推進された。
《第13代校長岩崎亭空将》
❺ 優れた指揮官・幕僚の養成のために
時代の趨勢によって教育の内容等は変わってきたであろうが幹部学校創設以来、私が学んだ幹部普通課程(SOC)、指揮幕僚課程(CS)の前後を通じて終始一貫した教育方針があった。それは、「いかにして優れた指揮官、幕僚を養成するかということであり、指揮官、幕僚として最も必要な能力とされる「的確な判断力」の養成が、常に教育の中心課題となってきたともいえる。」であった。
このため、「当校の課程教育においては、単なる知識教育に偏することを避け、努めて「考えさせる教育」を実施するよう努力を続けてきた。」
また、「視野を広めさせる。本質を追求させる。合理的思考を身につけさせる。この3項目は各課程共通の教育指針として創設以来今日まで受け継がれ、幹部学校教育の伝統となっている。」
航空自衛隊における35年余の勤務を通じて、幹部学校における指揮幕僚課程の1年間の修学は終生忘れ得ない「自ら学び」「自ら考える」貴重な有意義な期間であった。