昭和の航空自衛隊の思い出(68)  部下を帰省させるだけの金を常に持て

1. 部下を帰省させるだけの金を常に持て

    昭和35年2月、航空自衛隊幹部候補生学校に入校し、第23期幹部候補生課程(部内)で10か月間、初級幹部自衛官として の職務を遂行するに必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練に励んだ。

    奈良の幹部候補生学校の教育指導の中で、「指揮官になったら部下が急に親元に帰らなければならないときがあったら、ポンと旅費を出してやるだけのお金は常に持っておけ」と教えられた。要するに部下隊員の親兄弟に異変があって急遽帰省しなければならない時に、ポンと北海道ゃ九州の果てであっても片道旅費を懐から出せるようにしておけということである。任官後から定年退官までこれは守り通した。

 今の時代はキャシュカ-ドの時代であるが、当時は貯金通帳から現金を下ろすには、郵便局や銀行の窓口に行かねばならず、間に合わなかった時代であった。

 初級幹部で所帯持ちとなると、若い時はお金の余裕もなかったが、振り返ると、常時「部下を帰省させるだけの金を持つ」ことを信条とした。これはは自分の胸に秘めたる行為と信念であったように思う。金子は特別に封をして財布の中に入れていた。

 結果的には、これを使うような事態は生じなかった。一面、懐に一定のお金を持つことが、心の余裕を持たせ、どんな時でも動ぜず泰然としておれたのかもしれない。

 後年、隊員の服務指導を担当した時代、隊員に常に「帰りのタク-代は特別に持っておけ」と指導したことがある。酒を飲んだら乗るな、当たり前のことであるが、酔いが回ると、その鉄則を忘れ懐が寂しくなると、ついわずかなタク-代をケチって一生を棒に振ることがあるものだ。自分と部下隊員を守る一つの方策であった。ケチらないための「助け神ならぬ助け金」は意外に効用を発揮するものだ。

 その分家内は苦労したのではないかと思うが、最初に積み立てておけば後はそれを持続するだけだとの夫の言い分であったが、内助の功があってできたことであった。

  

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《 休日は古の都の散策を楽しんだ。当時は制服姿での外出であった。 》

 

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《 7区隊 左から【前列】矢野幸男・杉山衛・小野田正一 【2列目】・福迫光治・長田乾・*濵田喜己【3列目】上田正三・*菅信介・中村順一・橋本昌・乗富魁男・園田顕二、【4列目】木崎剛・高畑賢一郎・*村田隆・井嶋柳一の各氏、*印は第1期操縦学生出身 》