昭和の航空自衛隊の思い出(42)   総務業務の急速練成

 1.総務業務の急速練成 

    昭和32年4月浜松基地の整備学校所属となり整備学生要員として着任したが、総務課でお手伝いをするうちに、整備職域から総務職域に方向転換することとなった。

 学校職員として総務課総務班に配置されると、最初にお手伝いをした文書係を出発点として、総務課の仕事を半年単位で順繰り各係長の下について急速練成することになった。

 一般的には、空曹の業務は、担当係としてある期間固定して同じ仕事を実施させるのが普通であったが、私の場合、結果的には、総務課総務班における各係を一巡することになってしまった。

 文書管理・郵政・庶務一般・接遇・印書・タイピストの管理・諸行事の企画立案・規則、命令の起案・命令伝達 ・訓練管理など総務課総務班の所掌業務に関して全部を経験することになった。

 

2.  練達の先輩に鍛えられた

 まず最初に、文書係長縣益司郎事務官のもとで文書係と郵政係を担当した。次いで、教育訓練係としてた田中正治1曹のもとで学校職員の一般訓練と野外訓練の現地偵察・諸調整・計画の作成・一般命令の起案を担当した。印書係として全タイピスト嬢の管理とタイプ文書の統制と印刷、総務係として福田正雄先任空曹のもとで一般庶務・食事伝票・非常呼集・当直等日日命令の起案・命令伝達・服務規則等の改正起案をしたり、学校の水泳大会の計画立案を担当したりと3・2等空曹としては、破格の仕事を担当する機会を与えられた。

 

3.   何でも吸収してやろう

 総務課総務班の仕事を順繰りに先輩のところに配置して研修した。上司にどのような意図があったか分からないが、各係長が短期間のうちに「鍛えてやろう」と熱誠をもって接していることを膚で強く感じた。

 私自身も、若くて柔軟性があったせいか、「全部覚えてやろう」「何でも吸収してやろう」といった積極的に取り組むi気持ちが強かった。したがって、精神的・肉体的に負荷を感じたことは全くなく、練成に励んでいるうちにむしろこの総務の仕事は自分に向いているのではなかろうかと強く感じていた。

 

 4.配置と職務が人を育てる 

 ありがたいことに、総務業務の骨格を短期間のうち広く浅くではあったが実務経験することになった。一空曹であっても、何よりも学校総務課という司令部的な中枢で全体の動きを知ることができ、大局的な見地で物事を考えることを学ぶことができた。

 このことにより若輩ながらも、「配置と職務が人を育て鍛える」ことの意味を初めて体得した。後年、幹部となって各部隊・各級司令部勤務を通じて自分自身が育てられ鍛えられた。まさに「ポストが人を育てる」「ポストが人を鍛える」と言える。

 更に、人事幕僚として、人事業務を遂行するにあたって、この理念と信念を自信をもって堅持することにつながっていたように思える。

 自衛隊在隊間はもとより、今でも当時の上司と先輩が愛情をもって育て、大いに鍛えてくれたことに対して感謝している。 

 

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 《 訓練担当田中正治1等空曹の元で、訓練計画の立案・実施について基礎を徹底して特訓を受けた。厳しさ、優しさを持ち合わせた鬼軍曹的な存在の方で尊敬する先輩であった。良く面倒を見てくださった。終生忘れ難い先輩である。》