浜松市西区は、梅雨時なのに、雨が少なくで困っていたが、少しは降ってくれた。西区の中でも地区によってかなり差がでてくるようだ。そこが大気の自然現象というものであろう。
それでも例年よりかなり遅くなったとは言え、浜松市西区の神原町花の会の管理する花畑のコスモスも不揃いではあるが何とか全部発芽し、ほっとした。
昨日は、花壇の春草の最後の整理をした。少しはでも長く咲かせようと手入れしてきたが、あれほど咲き誇った草花も時期が来れば終わりである。
生き物には寿命があり、役目を終えたものは自然に退場する運命にあるのではなかろうか。
人も花も生きとし生けるもの全てが同じである。そこで花の入れ替え、役目交代を逐次行なってきた。
花期を過ぎたものは、果断に整理をし、次期の花に切り替える。新たなる花に活躍の場を用意する。辛いことではあるが、「素晴らしい花を咲かせて有難う」と話しかけて整理している。残酷なようであるが、これが冷徹な自然の哲理である。
どんなに抵抗しても花期の寿命には、逆らえないものだ。しからば、地域の景観に寄与し、最高の華やかな見せ場を作り、皆さまに楽しんでもらう。これを演出するのが花に対する最高の処遇ではなかろうか。
このように考えると「どんな花にどのような役目を与え、活躍してもらうか」など面白く、興味が尽きない。
花の会の代表としての役目をどのように果たすか、花活動を通じて考える機会をいただいている。ありがたいことである。
《 コスモス畑、写真は一番良いところであり、広い畑にまんべんなく均等に咲かせる苦労があるが、うまくいくと喜びも大きい。》