静岡県隊友会浜松支部の活動において、各時代において時代を映した特色のある活動が行われ、活動内容が時代によって徐々に変わってきた。
第1 青年部の存在と活動
若々しく活力のある活動
昭和時代の終わりから平成時代の初期、桑原善明支部長(昭和58年4月~平成4年4月在任)当時から「青年部」及び「特別会員」の存在・役割・活動は目を見張るものがあった。
隊友会は、自衛隊を定年退官した者及び任期制隊員で任期満了で退職した者等のOB会員と隊友会活動に賛同する一般の特別会員から成り立っている。
第5代支部長桑原善明氏(昭和58年4月~平成4年4月在任)は、特に青年部の育成と活動に力を入れられた。
そのことにより、家庭の事情等で若くして自衛隊を任期満了退職した者たちが中心となって構成した「青年部」は、若々しく活力に満ち溢れていた。
昼間は社会人・会社員としてなくてはならない存在となる一方で隊友会活動にも力を発揮した。
静岡県隊友会のソフトポール大会では優勝し、意気高しであつた。
当然のことながら、用具一式を揃えており、休日には練習に励んでいた。また、こうした活動から各地への全員移動のためマイクロバスを購入装備していた。
ちなみに平成7年当時の青年部の面々はは、18名で次の諸氏であった。
森田延好・仲秋勲・山下耕司・竹下益雄・見山道弘・山下正治・森博・中道一男・鈴木弘・米原良・鈴木敏政・松下誠司・清水宜明・袴田安康・鈴木正昭・佐藤剛・杉本茂明・杉本明彦の各氏であった。
支部の会員構成の変化
私が桑原善明支部長から引き継いだ平成4年頃は、隊友会支部の会員構成に変化が見られるようになった時期にあった。
それは丁度、昭和30年代に入隊した自衛官が任務を全うし、逐年多数の定年退職者が出るようになった時期でもあった。またこれらの隊友が退官後の職場で着実に地歩を固めて実力を発揮し、精神的にもゆとりが生まれ、隊友会活動にも積極的に参加する者が増えてきたことであった。
第2 画期的な特別会員の活動
支部における特別会員の活動
当時、全国的にも珍しい浜松支部だけにしか見られない「特別会員」の活動があった。
それは 特別会員は、世間一般の見方からすれば、活動を支えるお客様的な会員と受け止められるが、浜松支部においては全く異なりOB会員と一緒になって活動する「活動する会員」の存在となったことである。
それも会社企業等から加入した会員ではなく、真に隊友会活動に賛同した「一般市民」の参加であり、今日求められている「特別会員」の活動を浜松支部は昭和末期から早期に取り入れていたのである。先達の見事な先見の明に感服するのみである。
当時、隊友会本部に「特別会員」として有力な企業等からの入会が知られていたが、支部レベルでの「特別会員」に一般市民が入会し、OB会員と一体となって活動する例は珍しく画期的なことであった。
特別会員の持ち味を生かした一緒の活動
私は支部長在任間(平成4年5月~9年4月)、この支部の特性・利点を最大限活
用して活動する好機に恵まれたのである。特別会員の皆様が持ち味・特性を生かして、実によく活動の輪に入って支部活動を盛り上げていただいたことが今でも鮮明に思い出される。
それは、地域において行うイベンドの計画・準備・実施に当たって、その地域に育ちた地縁の固い人たちが加わたのであるから何かにつけて活動がしやすくなったことである。
この伝統は、第7代支部長若杉幸助氏(平成9年4月~17年3月在任)、第8代支部長有田高明氏(平成17年4月~現在)に受け継がれ今日も、特別会員はOB会員と一体となって活動している。近年では、特別会員から副支部長に服部泉氏が登用されるほどになったのである。
現在、益々特別会員が増加しOB会員と融合して活動する姿を見て、その意を強くするものである。
ちなみに、平成7年の特別会員は、会員名簿によれば、鈴木謙一・阿部富治・播磨則之・宮沢巌・服部泉・青木初夫・青木きよ子・大場繁夫・高柳和夫・堀川忠雄・阿部純司・青山強・山田キヨ子・岩崎五郎・阿部洋一・岡部洋一・中野義昭・世田卓身・山田良一の各氏18名を数えた。
第3 青年部と特別会員の活躍の場
隊友家族、地域の子供たちも参加した地引網
今では全く見られなくなった遠州浜海岸での「地引網」を毎年行った。今にして思えば良くぞやったと言える。
地引網は、支部の一大事行事として実施したが、これらは特別会員のツテで地元の地引網元の漁師の協力と青年部の軽快かつ活発な活動があって円滑に行うことが出来たのである。
隊友家族はもより「地域の子供たちの招待参加」も計画し、恵まれない子供たちを招いて地引網を体験させてあげたこともあつた。
今でいうボランティア活動をささやかながら始めていたのである。
今では遠州浜での地引網は想像も出来ないが、良き時代の思い出の活動記録である。
屋外での「バベキュー大会」
青年部と特別会員の活動で忘れ難いもののに、屋外のバベキュー大会があった。地引網で汗を流した後、獲物の魚を天ぷらにして舌づつみしたりして楽しんだり、単独で実施したものである。
これらは、第7代支部長若杉幸助氏に引き継がれて、イベントの規模も大きくなり浜
名湖畔で盛大に行われた。時代とともに時代背景、会員構成とニ-ズ、役員の状況等によって変遷をしているが、形が変わっても創意工夫された設営が行われており、支部の融和団結の強化に資するものである。
平成6年6月26日 隊友会浜松支部 第4回地引網 浜松市米津海岸
《 平成6年6月 隊友会浜松支部の地引網参加者は120名と記録されている。青年部と特別会員が中心となって地引網が実施された。、隊友会テント ・各種資材の搬入等も手際よく行われ、イベント後は最後に周囲をきれいに清掃して撤収した。》
《 子供たちも網を引い曳いて、綱を曳く感触をたっぷりと味わった。浜砂もきれいで素足で歩く感触は特別であった。漁村では全国どこでも見られた地引網が漁業の近代化・沖合漁業への転進によって、地引網が急減した。わずかに残った観光用の地引網も浜松市の遠州浜海岸一帯からまもなく見られなくなくなった。》
《 沖合に網を打った漁船を引き上げる作業、みんなでこれまた綱を引っ張って砂浜の所定場所まで小舟を運んだ。戦後昭和の時代はこんな小舟で地引網が行われていたのである。》
《 両方で綱を引いて追いつ詰められた魚は真ん中の長い袋に入っていく。ひきあげた袋にどれだけ魚が入ったかみんなが集まってきた。興味津々どの顔も袋の中の魚に注目した。》
《 今日の戦果でした。最盛期のころは袋が破れるほどであったという。量はともかく、魚が獲れてみんなご満悦だった。遠州浜で地引網が楽しめたこんな良き時代が平成の6年ごろまであった。隊友会の地引網もこれが最後となってしまったように記憶している。》
《 網に入った魚をてんぷらにしたり、持ち込みの鮮魚をさばいたりで、皆んな楽しく過ごした。時の青年部の秋仲勲氏は鮮魚の会社に勤めており、その包丁さばきはみごとであった。青年部部長として大活躍した。》