隊友会活動(4) 支部活動の思い出

 私は、静岡県隊友会の第6代浜松支部長として、平成4年5月から平成9年4月の5年間在任した。平成23年に「静岡県隊友会浜松支部60周年記念誌」に寄稿したものである。

 今や、隊友会は全国組織の公益社団法人として活動し、浜松支部の活動は全国的にも誇れる存在となっている。当時平成4年~9年ごろの発展基盤づくり期にあった支部活動を記し、さらなる発展を期待するものである。 

   バトンタッチした第7代支部長若杉幸助氏、現在の第8代支部長有田 高明氏と実に人格・識見共に優れた人物が支部を率いておられ、静かに見守り声援を送っている。

 

将来の発展基盤づくりを目指した創立30周年代の支部活動

                 第6代支部長 濵田喜己

 浜松支部創立50周年おめでとうございます。私が桑原善明先輩の後を継いで、支部長に在任したのは、平成4年5月から9年4月の5年間で、支部は創立30周年代後半で発展期にありました。

 当時、自衛隊を取り巻く環境は、自衛隊の国際貢献、基地への協力支援及び隊友会の社会活動に目が向けられるようになっていました。

 こうした時代背景の中で、中期の事業計画の策定、参与制度の設定、地区長等会の創設、支部活動年会費制度の設定、支部連絡紙の創刊、佐鳴湖クリ-ン作戦・住吉墓苑平和祈念広場の清掃等ボランティア活動の開始及び社会活動一人一役運動、会員名簿の定期的発行と改訂、死亡会員に関する基地部隊への報告、花輪等の贈呈・隊歌による送別の設定、支部旗の装備、支部帽マ-クの制定、浜松基地航空祭の隊友憩いと語らいの場の設営、隊友新聞の手配りの拡大と担当者の設定、地引網・バべ-キュ-大会の親睦及び基地曹友会との連携などの主要事業を実施しました。

 支部活動にあたっては、静岡県隊友会副会長・会長今村昭八氏のご指導助言をいただきながら副支部長鈴木美三・新堂末吉・藤井修三・竹下益雄・森田延好・遠藤政雄・若杉幸助の精鋭諸氏が意気に燃え支部活動の中核となって献身的な活動をしてくださいました。

 特に、筆頭副支部長鈴木美三氏は支部長の片腕となって大活躍し実に見事なのでした。

その1

 平成4年10月カンボジアへのPKO部隊派遣等に際して、初の自衛隊支援拠金呼びかけたところ隊友222名から50万円募金が寄せられ、自衛隊に対するOBの熱い思いと団結力がその後の支部活動の起爆力になりました。

その2

 平成6年10月支部活動の基盤強化のためには、支部現況の総点検が緊要であることから画期的なビッグオペレ-ションを実施しました。全会員の実態調査は、まず文書による支部活動報告、お詫びと今後の活動方向の説明、支部活動年会費への理解と協力など1,250通・約8,000枚の印刷物の発送、不返書に対する電話等による確認を行いました。これにより会員の把握と確定及び支部活動年会費を確立し、支部活動の基盤を強化することができました。

その3

 平成8年8月地域社会ヘの貢献活動が高まる中、地域社会で存在感のある支部活動を旗印に、佐鳴湖クリ-ン作戦に初参加し機動力と団結力に高い評価を受けました。その後住吉墓苑平和祈念広場への活動と発展し多数の関係者から感謝と称賛をいただきました。

 

 

 

  最後に、支部の発展に献身された隊友諸氏に敬意を表します。支部の役割は、時代とともにその社会性が強まっております。今後の支部の益々の発展を祈念いたします。  

( 平成23年2月1日寄稿 )

 

 平成8年4月21日に開催された隊友会浜松支部総会時の記念写真

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 《 平成8年度隊友会浜松支部総会、来賓として村岡亮浜松基地司令、久野幸夫浜松防衛団体連合会長等、隊友石塚勲元航空幕僚長他140名が参加し記念撮影した。》

 

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 《 平成8年度隊友会浜松支部総会記念写真の氏名一覧表、珍しくなってしまった。鬼籍に入られた初代浜松防衛団体連合会長久野幸夫氏ほか各団体の長に来賓としてご臨席いただいたことがよみがえる。今日17年余の歳月が流れると、ご来賓の皆様をはじめ隊友諸兄の中にも逝ってしまわれた方もある。御冥福を祈ります。 》

 

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 《 当時の浜松支部総会を報じた浜松基地新聞「遠州灘」の記事、制定されたばかりの隊友帽子をかぶり、現役に戻ったような生き生きとしたOBが散見されたとある。総会後の浜松基地司令村岡亮道空将補の講演では、当時最も関心のあるAWACS機配備、広報館建設計画等の概要が説明されたことが記録されている。隊友会の支部事業でボランティア活動に本格的に取り組み、定着しだしたころでもあった。》