わが神原町(22) 第35回神原町敬老会に参加して

    昨日9月18日は敬老の日、昭和30年誕生した神原町自治会が主催するようになって35回目の敬老会が行われた。式典では、神原町シニアクラブ(神原会)が参加者の主力を占める関係から会長が招待者代表して御礼の言葉を述べた。また、会食・演芸では同じく神原会会員がカラオケ等に多数出演した。

 わが町における敬老会の対象者は75歳以上で207名、うち出席者は約50名であった。出席者の多くは神原町シニアクラブ(神原会)の会員であった。

御礼の言葉

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お礼の言葉

招待者を代表して一言御礼を申し上げます。

本日は、神原町自治会主催の敬老会に御招待戴きまして、誠に有り難うございます。

また、自治会役員を始め、婦人会、青空子供会役員の皆様方の、ご協力によって、このように盛大に敬老会を開催して下さいましたことに対して心から厚く御礼申し上げます。

只今は、自治会長を始め御来賓の市長代理介護保険課長中村丈二様、地元市会議員の和久田哲男様、衆議院議員城内実様の奥様から御祝辞と励ましの御言葉を戴き身の引きしまる思いでございます。

その上小学生代表の皆さんからはお祝いの言葉を頂き私たちの心に響くものがありました。

    わが神原町は昭和三十年四月に誕生し、六十三年を迎え世帯数、人口ともに充実発展し、明るい住みよい町となっております。これはひとえに自治会を中心に町民の皆さんが営々として築き上げた「神原町まちづくり」の努力のたまものであります。

    本町における敬老会は、昭和三十三年の春、婦人会によって初めて実施されました。昭和五十八年から自治会主催の第一回敬老会が開かれてから第三十五回を迎えることになりました。

   わが国は、世界一の高齢化が進んでいますが、高齢者には高齢者としての役目があるように思われます。

   本日のこの敬老会には神原会の会員である九十六歳と七か月の田口美岐子さんが出席しておられます。(立ってもらい紹介)

   私たちは、歳を取ったからという消極的な生き方ではなく、地域社会に少しでも貢献する役割を担い果たしていきたいと思います。家族や社会に迷惑をかけず、元気に暮らすことはもちろんのこと、シニアクラブ等への参加活動を通じて、私達に出来る範囲において地域社会の発展のために、貢献するとともにそれぞれが充実した人生を送りたいと思います。

    結びに当たり、お手元に「生き生き神原会」をお配りしてございますので、ぜひともシニアクラブにも入って豊かで、笑いのある、楽しい人生を送ってください。

本日は誠に有り難うございました。簡単ですが御礼の言葉と致します。

神原会入会のご案内    

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《 敬老会に招待された全員に配布した。》

敬老会の模様

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《 会食・演芸の部における様子 》 

神原町花の会(花美原会)(285) コスモス花畑が放映された

   9月18日、  だいいちテレビのお昼前のNNNストレイトニュ-スにおけるMOBIE BOXで、神原町花の会(花美原会)の管理するコスモス畑が紹介された。

 花畑について、代表としての立場からメディアの取材を受けることがあるが、新聞では直接写真に写ることは少ない。テレビの場合は、説明や作業で画像に入ることがある。

 この投稿動画は、経験豊富なベテランの加藤紘一さんの撮影によるものである。当番組の投稿動画は、通常2点取り上げているようであるが、本日は1点のであった。放映の時間も長く内容のあるものとなった。

   今日は、いろいろな災害をもたらした台風18号が北上し、台風一過という言葉のとおり、快晴の敬老の日となった。コスモス畑は月末まで花摘み楽しませてくれるであろう。

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《 神原町花の会(花美原会)の管理するコスモス畑、テレビ放映の画面を写真に撮った。》

神原町花の会(花美原会)(284) 大型で強い台風18号の接近と対処

1.台風18号の進路と事前対処

 今日は、朝から風が強く、小雨が降っていたが、お昼から青空が見えて太陽が差してきた。台風18号は、午前11時半過ぎには南九州に上陸したと報じた。

   静岡県では、17日夜から18日未明にかけて台風が最も近づくとみられる。静岡地方気象台によると、17日詩と午後6時ごろから18日午前零時ごろにかけて、多いおころでは1時間に60ミリの非常に激しい、滝のような雨が降ると予想される。台風の進路情報に注目している。

2.家周りの台風対策

 自然の脅威そのものにはには対処すべがないが、強風等については、2・3日前から家の周りを確認して飛んでいきそうなものは小屋に移動収納した。窓は戸を閉めて身構えることにした。

 家庭菜園の方は、苦労して植え付けたブロッコリ-・カリフラワ-・キャベツの苗がやられてしまいはしないかどうか心配であるが、こちらの方は作物の抵抗力と生命力に期待することにした。作物で一番大事な芽をやられないようネットをかぶせられるものはかぶせて保護をした。

3.花畑の台風対策

 本朝、花畑を訪れて状況の確認した。管理小屋と資材などは飛散しないよう防護した。花畑は広い面積であり、花群の自然への抵抗力と生命力に任せるより有効な手段はないようだ。

 花畑は、コスコス花が咲き誇っており、少し強い風が吹くたびに波状になって激しく揺れ動いていた。花摘み開放して2週間たったので、大量の花摘み後、新しい花が咲き始めており、個々の花は美しい。もったいないほどである。

 花畑には、花摘みに訪れる方もあり、生き生きとした花を摘んで満足して帰って行かれる。皆で力を合わせて協同活動で作り上げた花畑の花群が何とか被害を受けないでほしいと願うのみである。 

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 《 9月17日、神原町花の会(花美原会)の管理する「花と緑いっぱい区域」における生き生きとしたゼフィランサス、主幹花のコスモス畑の両側に設けた花壇22個に縁取りとして利用している。何回も咲き印象に残る花種である。コスモスも新しい花が咲き出した。》

 

山門の人生の教示 お墓参りと銀杏  「先祖様一枝供えし菊の花 」

1.「先祖様一枝供えし菊の花 」

  毎月1日と15日には、菩提寺である天龍山洞雲寺にお参りし、お墓に花を供えている。今日は奉仕を一つしようと夫婦で、通路に落ち葉があったのでほんのちょっぴり清掃して帰った。山門には、「先祖様一枝供えし菊の花 」とあった。

 お墓に供える花は、家で育てた花を摘んだり、農家で売っている花を買ってお供えすることもある。菊は家庭菜園に育成しているが、花と葉が落着いており品格がある。何といっても長持ちするのは菊の花である。

 人の世は、どんなに世代か変わっても、受け継がれていくものだ。親から子、子から孫へと受け継がれていく。まさに「次ぎ次と先祖あっての今がある」である。

.「井戸水のつめたき朝に沙羅ひらく」情景がはっきりと浮かぶ句である。今度境内の沙羅の木を観察してみよう。

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2. 銀杏の実 

 洞雲寺の駐車場に車を止めたら銀杏の実が何個も落ちていた。上を見上げたら巨大なイチョウの木が茂り実をつけていた。銀杏と言えば、昭和の子供のころガキ同士が集まって郷里鳥取県湯梨浜町宇野の尾崎邸や安楽寺の庭で落ちた銀杏の実を拾って持ち帰ったことがある。

 地中に埋めて身を腐らして取り出して洗うと、真っ白な銀杏を手にすることができた。腐りかけの銀杏の実の匂いが強烈で、何回も手を洗ったことを思い出した。小川で洗っても洗っても強烈な匂いが取れなかったことが強く印象に残っている。大東亜戦争中や戦後に食材を子供たちが集めてきた懐かしいよき時代であった。

「ガキ同士銀杏拾って手を洗う」 

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《 秋の味覚銀杏の実  》

神原町花の会(花美原会)(283) コスモス畑の花摘みは月末まで

 神原町花の会(花美原会)の管理するコスモス畑の花摘みは今月末まです。来月2日にはコスモスを整理する予定です。

    今日も地域住民の皆さんが家族連れでコスモスの花摘みをしている姿が見られた。近くのおばあちゃんはお孫さんと一緒であった。おばあちゃんは農家に嫁いできただけに、雑草一本ないのに驚いて、大変でしたねと声をかけてくださった。子供たちは気に入った花色を選んで摘み取って帰っていった。

 これから台風18号の進路によっては花畑も被害を受けるであろうか。

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《 子供たちのコスモス花摘み、自分で選んだ花色を自慢げに見せてくれた。子供が手にしたコスモスの花色は各人各様であることが印象に強く残った。 》

浜ちゃん日記 ベレー帽のかぼちゃん

   以前にも頂いたことのある「ベレー帽のかぼちゃん」を大久保町の和久田しげ子さんから再び頂いた。自分でタネを蒔いて育てたいところであるがそこまではできなかった。

 そこで、わが家に「ベレー帽のかぼちゃん」を飾ってみた。自然界における植物の造形は不思議なものだ。家庭菜園でも、時たま、変形したおもしろい形をした野菜が採れることがある。これらは育成の過程で特別に細工をしたわけではなく、自然にそっくりさん的な形が出来上がるものである。 遺伝子のなせるものであろうか。

 これからの人生もいろいろなものに興味と関心を持ちつづけ、心に余裕のある生活をしたものである。  

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《 わが 家に配列したユ-モラスな「ベレ-帽のかぼちゃん」、大久保町の和久田しげ子さんが栽培したもの。丹精を込めて育て、目と口をつけたら愛らしくなった。素晴らしい作品である。 》

 

 

元自衛官の時想(21) 浜松基地と地域社会との共存共栄

1.夜間飛行訓練に関する自治会回覧

 毎月の月初めの自治会回覧板の中に、浜松基地から翌月の夜間飛行訓練の予定の文書がその他の回覧文書と一緒に回ってくる。この文書は第一航空団監理部長名で、基地周辺の自治会の皆様へ発出されたものである。この中には夜間飛行訓練の予定となぜ夜間飛行訓練をするのかを説明し、住民の皆さんに理解をいただこうというものである。

 航空自衛隊OBの立場から拝見していると、一枚の文書であるが、多様かつ困難な夜間の飛行訓練に励む隊員の苦労が目に浮かんできて、「ご苦労さん」とつぶやき、「無事故でね」と祈っている。

 基地周辺に住んでいるので、昼夜を問わず時、時折、航空機のエンジン音が聞こえてくると、実任務や訓練が始まった、静かになると無事に訓練等が終了したことを知る。

 現職時代、人事幕僚として戦闘航空団に勤務した時は、夜間飛行訓練が終了するまでは、所定の業務が終わっていても基地にとどまり、「全機着陸、訓練終了」の放送が終わってから帰宅したものであったことを思い出すことがある。

 そこには操縦者の空中における厳しい任務に対する練成に練成を重ねる心意気に共感し、万が一航空事故等への迅速な緊急対処を行うという確固たる信念と行動のようなものがあったように思う。

2.エンジン音と国家防衛への認識・理解による受け止め方

 航空機のエンジン音一つとってもその受け止め方や感じ方は人さまざまである。民間航空機に旅行や用務で乗ってもエンジン音はそれほど苦にならないものでも、国際情勢への認識、国防・軍隊への認識、自衛隊の任務と隊員の職務に対する理解の程度により、自衛隊機の発するエンジン音に対する受け止め方や感じ方はずいぶんと度合いが異なってくるものである。民間機と同類の機種であっても同様である。

 最近起きている、幼稚園や小学校の子供の遊び声も元気な良い子が育っていると受け止める人と、うるさいと感じる人との差はどこから来るであろうか。私の町では若い家庭が隣近所に増えて、子供の元気な声がよみがえってきた。元気な声が聞こえると目を細めてほほえましくうれしくなるものだが、これなどは理屈を超えたものなのかもしれない。

 現職時代、航空基地の当直幹部についていて、夜間飛行訓練でたまに苦情・抗議の電話のある基地と全くない基地を経験したことがある。

 ジェット航空機が空中を飛行するにあたっては、機能的にエンジン音を発することになる。このため基地周辺の施設の防音対策の他、飛行運用に当たっては、地域住民にできる限り迷惑をかけないよう対策を推進し、「お知らせ」のように、これが広報により理解協力をいただく努力は大切なことと思う。

 一部の自衛隊・基地の存在不認や為にする反対のための反対等、特定の主義・主張の立場からのものについては言及しないことにした。これが民主主義の世の中というものであるからである。

3.航空自衛隊の基地の存在と地域との共存共栄

     航空自衛隊の基地は、飛行場を有する大きな航空基地から航空警戒監視部隊の所在する離島のレーダー基地に至るまで様々な任務を持った部隊等が所在する基地がある。  

 浜松基地は昭和31(1956)年から平成2年までの間に5回勤務したが、浜松基地と地域社会との関係は、浜松基地創設以来良好な関係にあると言える。全国各地を勤務したり、職務で訪れた離島等を含めた各基地の状況も同様であった。沖縄も特定の団体等を除けば、基本的に地域住民と航空自衛隊基地との関係は共存共栄であったように受け止めていた。

 航空自衛隊の基地は、国民から負託された使命を果たす部隊・機関が任務遂行の基盤となるところである。任務を効果的に果たすには基地周辺との共存共栄は必要不可欠である。すべての隊員はそのことをよく認識・理解している。

   特に今日においては、飛行と安全は航空基地の円滑な運営にあたって極めて重要な事柄であるからだ。

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《 航空自衛隊浜松基地からの夜間飛行訓練等のお知らせ 》

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 《平成29年9月13日夕刻の西の空、鮮やかな天空に魅せられしばしばたたずむ 》

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《 平成29年9月13日夕刻、早期警戒管制機(awacs)が離着陸訓練を繰り返した。 》