昭和の航空自衛隊の思い出( 32)  運命の出会いと縁があった浜松

1.  英語教育で初めて浜松へ

     昭和31年3月24日、防府基地所在の航空自衛隊幹部候補生学校における第1期操縦学生として「操縦学生基本課程」を終了し、臨時英語教育隊所属となった。空士長へ昇任した。同年3月31日初めての浜松基地の門をくぐった。

    ここ浜松においては、英語課程を学び昭和31年9月末の卒業まで約6ケ月間英語三昧の生活を浜松基地で過ごした。語学の才能面から見ると勉強した分読み書きは上達したが、どちらかというと本命の聞き取りと話す方は普通であったように思う。

 ふり返ってみて、英語は普通でそれ以上ではなかったように思うが、後年、要撃管制官として初めて厚木の米海兵隊へ連絡幹部の任務を帯びて単身1か月派遣されたが、若さと度胸で役目を果たしたり、防空指令所における夜間の交代制勤務では米空軍将校と隣り合わせで職務を遂行した。

 

2.運命の出会いと縁があった浜松

    浜松基地における生活は、土日となると制服姿で外出した。当時、営内隊員は外出も制服が一般的で、私服を着て外出したことはなかった。外出先は浜松の街の象徴であった松菱百貨店を中心に発展しつつあった有楽町界隈であったように記憶している。当時の浜松駅前付近と現在の政令都市とを比較すると想像もつかないほどの発展ぶりである。

    昭和31年9月末に英語教育隊を卒業し、山口県の小月基地に転じて飛行訓練に臨み、まさか6ケ月後の32年4月1日に再びこの浜松基地に赴任し、私の「自衛官人生の転機の地」となるとは夢にも思わなかった。

    人生とは不思議なものだと思う。昭和32年4(21歳)月から35年2月(24歳)に至る約3年間は、パイロットを目指した空士長・操縦学生から急転直下「操縦学生」の肩書きがとれて空士長・一般隊員となり、挫折・苦悩、新活路・職務・特技の習得、3曹~2曹への昇任、人事員課程履修、結婚、部内幹候への挑戦・合格・1曹・一般幹部候補生任命・幹部候補生学校入校となる「自衛官人生の急速な進展の場」が浜松となったからである。

    一方、操縦コースを着実に進んだ第1期操縦学生は、飛行幹部候補生としてジエット機に挑戦するため続々と航空団・浜松基地へ集結してきた。

     かつて寝食をともにした同期生の雄姿を見るにつけ,私が整備学校(現第1術科学校)の片隅で黙々と奮起した時期と場であった。

 したがって、私にとって、浜松は自衛官生活の再出発・再起の時と所、運命の出会いと縁があった街であり基地であった。定年退官時に浜松を永住の地としたのもこうした 不思議な因縁からであった。 

 

 

浜松基地  (浜松基地ホ-ムぺ-ジから一部転載)

○基地の総面積
 約313万㎡(東京ドーム約67個分)
○滑走路
 長さ:2,550m 幅:60m  
○隊員数
 基幹隊員約2,600名  学生(ピーク時)約800名

浜松基地のあらまし
浜松基地は、静岡県西部の中心的な都市、浜松市に所在します。航空自衛隊で初めて航空団が置かれるなど、航空自衛隊発祥の地としての歴史を持ってます。基地設立の頃から、パイロットや航空自衛隊の主要装備品の整備員などを教育する部隊等が置かれたことから、現在でも航空自衛隊における教育の中心地としての役割を担っています。

歴史

  • 大正15年10月陸軍飛行第7聯隊、立川から移駐
  • 昭和08年08月浜松陸軍飛行学校設立
  • 昭和20年09月米空軍不時着飛行場として使用
  • 昭和27年10月保安隊航空学校設置(30年11月明野へ移動)
  • 昭和29年07月航空自衛隊発足、操縦学校編成(31年3月小月へ移動)
  • 昭和29年09月整備学校及び通信学校編成(34年6月それぞれ第1術科学校、第2術科学校に改称)
  • 昭和30年03月臨時教材整備隊編成(同年9月教材整備隊に改称)
  • 昭和30年09月「浜松基地」設置
  • 昭和30年09月浜松警務分遣隊新設(53年4月浜松地方警務隊に改称)
  • 昭和30月12月航空団編成
  • 昭和31年10月航空団を「第1航空団」に改称
  • 昭和32年09月浜松管制分遣隊及び浜松気象分遣隊設立(34年6月それぞれ浜松管制隊、浜松気象隊に改称)
  • 昭和33年08月浜松基地廃止、浜松南基地・浜松北基地を各設置
  • 昭和35月08月ブルーインパルス(空中機動研究班)新設(浜松北基地)

(  以下省略)        

 
 

 f:id:y_hamada:20140918232731j:plain

  《 浜松基地、正門側から1号館(航空団)、2号館(整備学校)》

 

f:id:y_hamada:20140918215610j:plain

《 昭和31年 上空からの浜松市内、駅前から市役所付近まで映っている。 》

 

f:id:y_hamada:20140916103639j:plain

 《 昭和31年 松菱屋上から浜松駅付近を臨む。制服で外出して夜帰隊する時は、浜松駅前の銀行前から発出する遠鉄バスは隊員で超満員であった。 》