浜ちゃん日記  エア・フェスタ浜松2018(浜松基地航空祭)事前訓練展示(2)

    11月24日(土)絶好の快晴、青空が澄み渡り、ブルーインパルスが描く事前訓練の飛行展示はまたとない日となった。わが家から自転車で浜松基地へ向かい、事前訓練展示会場を訪れた。OBの立場から所見を記しておきます。

① 私の知る限り最も好天・気温・風力などに恵まれた天空であった。浜松基地始まって以来の本番前日の公開となった基地周辺の住民の皆さんへの感謝の広報施策は素晴らしい企画と英断であり 大成功であった。会場は多数の市民が来場した。ブル-の出発場面は残念ながら人垣でカメラに収めることができなかった。

 ② 障害者の皆さんは最前列で ブルーインパルス を眺められ、最高の企画であった。

   ブルーインパルスの飛行展示は、観衆側から見ると上空に雲一つなく最高のものであった。みんな満足した顔が見られた。

    とりわけ、ブルーの展示飛行の各課目の間合いは絶妙で唸らせるものがあった。何事も間の取り方は大切である。空中での間合いを見事に取れる空中指揮・チームワーク・士気・操縦技量など航空戦力の実力を遺憾なく十二分に発揮していた。

    短時間のうちに、これでもかこれでもかと課目が展開し、早くもなし、遅くとなし、間合いの取り方が見事であった。

③ 事前訓練の飛行展示はもとより、基地警備、観客の経路誘導・案内、危険物の検査、救護、放送など綿密に計画・実行されているように見受けられた。気持ちよく観覧できる運営体制が確立されていたように思う。

④ ブルーインパルスの飛行展示前に行われた警戒航空隊、航空救難隊の救難飛行展示などの諸飛行と説明もそれぞれ見ごたえがあった。

 華麗と感動のブルーインパルスの飛行雄姿

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❷ 任務終了し観客にこたえるパイロット  

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《 平成30年11月24日午後、浜松基地にて  》  

わが趣味活動(42) 演歌大好きとカラオケクラブ

 地元に会館が建設されて町内にカラオケクラブが結成されて22年の時を刻んだ。発足時から今日まで継続して在籍するものは、代表の鈴木富久氏をはじめとして3人しかいなくなった。あっという間の22年間であったように思える。おかげで、雨の日も風の日も毎週1回は神原会館に足を運び、演歌大好きな一人として生き残っています。

 最近は、毎週火曜日のカラオケクラブ、金曜日はシニアクラブの金曜会で数曲唄うことになっており、声が出なくなったり、足が弱って出掛けなくなるまでは続けたいと思っています。

 自治会が運営する会館備え付けの通信カラオケを利用しているため、毎回新曲に挑戦しているが、やっぱりお気に入りは演歌である。俗に言う色恋ものではなく、故郷を歌ったもの、父母を歌ったもの、人生を歌ったものが最も好きです。こうした類の歌手の歌を聞くと心が癒され、いろいろなことが思い出されるから不思議だ。これなどは理屈なく性に合っているというのであろうか。

 他人様に聴いてもらうにはそれなりの努力が必要である。家で練習し通信カラオケに合わせて数多く唄うことに限る。数多く唄う練習と場数を踏むことで自分なりの歌い方を確立していくことができる。そこには人まねでない、自分の歌声と個性があってよいと思う。自分の持ち味を出せたら楽しくなるものだ。

 先週の神原町・大久保町カラオケクラブの交流会では、作詞/万条たかし、作曲/四方章人、唄/福田こうへいの「天竜流し」を歌った。先日はラジオから流れた作詞・作曲/吉幾三、唄/高城靖雄の「帰ろう。帰ろう」が気に入り練習している。育ててくれた故郷を、故郷で静かに眠っている両親に思いをはせる歌詞と歌声は心にしみるものがあったからです。

 声を出すことは健康につながるといわれている。三つの大病を克服し今日も元気よく暮らせるのもこのおかげであるように思っています。演歌万歳、カラオケ万歳である。

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《 平成30年11月13日夕、神原町・大久保町カラオケクラブの交流会にて、作詞/万条たかし、作曲/四方章人、唄/福田こうへいの「天竜流し」を歌った。 》

元自衛官の時想(72)  平成の時代における諸活動と協力支援への感謝

 平成の時代も来年で終わろうとしている。私にとっての平成時代の30年は、平成2年4月自衛隊定年退官して自衛官生活とは全く異なった新しい会社員生活を送り、次いで永住の地と決めた地域社会での市民生活であった。

 この間、自衛隊出身者が主体となる隊友会、地域社会の自治会、花いっぱい活動の花の会、高齢者を中心としたシニアクラブの活動を行った。それぞれの組織団体においては、活動の主体である現場の隊友会支部長・協議会会長及び県副会長、浜防衛団体連合会副会長、自治会長、花の会代表等として組織運営にあたる機会を与えられた。

 それぞれの所属団体活動に対しては、上部団体から表彰状をいただいた。その上個人として功労の栄誉をいただきました。ありがたいことであります。

 過日は、シニアクラブ浜松市及び静岡県の連合会長から表彰状をいただきました。シニアクラブにおいては、10年余の役員活動となるが会員の皆さんに支えられての活動に感謝あるのみです。わが心の勲章であり、これが最後の個人受賞となるであろうことからあえて記することにしました。

シニアクラブ活動

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神原町花の会(花美原会)(364 ) ポピ-花畑の冬季に向けた次の協同活動

 神原町花の会(花美原会)は、12月の花協同活動を控えて会報「花だより」を発行した。町民の皆さんに花活動状況を知っていただく自治会隣保回覧と次回協同活動の連絡を兼ねて会員配付を行いました。

 ここのところ朝夕は急激に気温が下がってまいりました。ポピ-畑の雑草もポピ-の成長とともに勢いを増してきました。

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神原町シニアクラブ(153)  たくましく石片に混じって発芽したポピ―

   神原町健康広場の外柵沿い花ラインには、前から1列目ハナビシソウ、2列目 ポピー、3・.4列目にはなな(菜の花)の種をまきました。

    菜の花は割合に早く発芽し安心したが、ポピーの種は古いものが大部分で、新しい種は少量であったことから、はたして発芽するかどうか心配でした。

    本日午前、確認をしたら石片に混じって発芽が確認 されました。どの程に成長するのか予測しがたいところが楽しみでもある。うまくいけば健康広場の外柵沿いに花ラインを形成し道行く人々を楽しませてくれるのではなかろうかと期待しています。 

 ❶ 2本のはなな(菜の花)ライン

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《 外柵沿いから3.4列目に生育しているはなな(菜の花)、鮮明なラインを形成した。種はグリ―ンバンクからいただいた。》

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 ❷ ポピ ―ライン 

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《 たくましく石片に混じって発芽したポピ― 》

83歳老いる雑感(47) 人のために役立つこと

 1  生業生活から 年金生活

   歳を重ねると、多くのサラリーマンは定年退職し、職業人としての役割を終えることになる。自営業の人でも自分の決めた基準で、後継者に託したり廃業したりして、その仕事から退くことになる。いずれにしても、早いか遅いかの違いはあっても、生業への従事をやめて、いわゆる定年退職者、年金生活者となる。これらは早い者で60代から、遅い者は大体70代からであろう。

     昔と違って、格段に平均寿命、健康寿命が延びたことから、その後、同じ会社等に嘱託、アルバイトとして勤めることはあるが、徐々に、職業人としての大きな役割を終えていくものである。

2  定年退職後の役割

     生業からの解放は、ひところ「毎日が日曜日」と言われたものだ。最初のうちはどうも落ち着かないが、そのうちに心身ともに落ち着いてくる。

    歳をとるということをしっかりと理解するようになる。自分のこれからの生活設計をしっかり描き、何を目標として生きていくのかを見定めることになる。

    そこに見えてくるものは、自分の役割をどこに置こうかということではなかろうか。何もせずじっと家にこもるか、今までなし得なかった趣味を中心としたことに没頭するか、家族のためになることを中心とした家族奉仕に徹するか、それとも地域社会への奉仕に力を注ぐか、十人十色であろう。

    どれが良くてどれが悪いなどないであろう。たった一度の人生であるから、どんな道を歩むかは自由である。選択肢はいくつもある。

3   やりたいことをやりながら人のことに役立つ

    35年の国家防衛の任を全うし54歳で定年退職したが、任務の特性から定年が早いため、自賠責保険の損害調査を行う自動車保険料率算定会、次いで自動車保険相談所で働く傍ら、御恩返しのためOB団体の支部活動・運営等に参画することにした。

    地域社会の自治会活動では、周りからこわれて副会長に就任したことを機会に、きっぱりと生業を打ち止め することにした。やるからにはやれることはやりきろうと思ったからである。

    背水の陣を敷いて、自治会長、シニアクラブ、花の会の会長などの役割に専念してきた。悔いのない人生としたかったからである。

    亡き父親も故郷でやってきたように、この世に生まれたからには、人生の最終路はどんなことでもよいから少しでも人のために役立つことをしたいと思ったからである。

    これができたのは、家族の支えと自分の健康プラス幸運があったからであろう。何事も自分の力だけではできるものではない。組織の運営は役員の皆さんの力が結集して発揮できるものである。いつの時代、どの組織でも、支えてくださる人に恵まれてきた。感謝と報恩の思いである。

4   けじめと幸運

   人生にはけじめが必要である。1年半後には85歳がやってくる。歳とともに逐次整理をしてきたが、85歳で全ての任を終えて、後の余生は自分のことに専念したいと思っている。  

    そんなことを言っているが、明日のことはわからないのが人生である。計画どおり行かないものだ。長い人生の後半70台で心房粗動、腎臓がん、膀胱がんと三度の大病を克服してきた。幸運にも「生かされた命」を授かった。生かされた命のお陰で、多少でも自分の思いを何とか成し遂げることがではきたことに感謝している。これ以上を望むことはない。ばちが当たるというものだ。

   人のために役立つことは、すべからく、自分のためであることに帰一すると言ってよいのではなかろうか。そこにはどんなに忙しく苦労があってもやり遂げたという充実感と満足感があった。それこそが生きる力であり、活力の源泉となっていた。

 

 

    

 

 

浜ちゃん日記  天龍山洞雲寺の本堂建設に伴う寺位牌の里帰り

 菩提寺の天龍山洞雲寺の本堂建設に伴い、11月上旬より、本堂・位牌道の解体が始まった。去る9月29日には本堂・位牌堂解体供養が行われ、寺位牌の里帰りが行われた。本堂の完成は3年後であることからわが家の仏壇に安置した。

 解体供養は、住職の敬白文奉読、読経、総代・世話人等に次いで檀家の焼香をした。その後、位牌堂で位牌の確認をし受領、さらに最終の確認が行われ、わが家に持ち帰えり無事に仏壇に安置しほっとした。どの方も初めての赤子を恐る恐る抱くように、それはそれは丁寧に取り扱っていたことが印象的であった。

 洞雲寺の本堂再建は300年に一度の一大事業である。11月9日から本堂の解体が始まり長年見慣れた本堂ともお別れした。毎月1日・15日の2回は墓参りを行っているので、工事の進捗状況を拝見することになるであろう。 

 境内のイチョウの木の下は黄色い葉っぱが敷き詰められ移り行く晩秋を強く感じた。

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《 平成30年11月1日 本堂前の樹木、庭石は移動し、工事の準備が進んでいる洞雲寺本堂 》

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《 平成30年11月15日 重機が入り解体が始まった洞雲寺本堂 》

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《 敷き詰められた銀杏の落ち葉に移り行く晩秋を強く感じた。》