老いる時想(47) 人のために役立つこと

 1  生業生活から 年金生活

   歳を重ねると、多くのサラリーマンは定年退職し、職業人としての役割を終えることになる。自営業の人でも自分の決めた基準で、後継者に託したり廃業したりして、その仕事から退くことになる。いずれにしても、早いか遅いかの違いはあっても、生業への従事をやめて、いわゆる定年退職者、年金生活者となる。これらは早い者で60代から、遅い者は大体70代からであろう。

     昔と違って、格段に平均寿命、健康寿命が延びたことから、その後、同じ会社等に嘱託、アルバイトとして勤めることはあるが、徐々に、職業人としての大きな役割を終えていくものである。

2  定年退職後の役割

     生業からの解放は、ひところ「毎日が日曜日」と言われたものだ。最初のうちはどうも落ち着かないが、そのうちに心身ともに落ち着いてくる。

    歳をとるということをしっかりと理解するようになる。自分のこれからの生活設計をしっかり描き、何を目標として生きていくのかを見定めることになる。

    そこに見えてくるものは、自分の役割をどこに置こうかということではなかろうか。何もせずじっと家にこもるか、今までなし得なかった趣味を中心としたことに没頭するか、家族のためになることを中心とした家族奉仕に徹するか、それとも地域社会への奉仕に力を注ぐか、十人十色であろう。

    どれが良くてどれが悪いなどないであろう。たった一度の人生であるから、どんな道を歩むかは自由である。選択肢はいくつもある。

3   やりたいことをやりながら人のことに役立つ

    35年の国家防衛の任を全うし54歳で定年退職したが、任務の特性から定年が早いため、自賠責保険の損害調査を行う自動車保険料率算定会、次いで自動車保険相談所で働く傍ら、御恩返しのためOB団体の支部活動・運営等に参画することにした。

    地域社会の自治会活動では、周りからこわれて副会長に就任したことを機会に、きっぱりと生業を打ち止め することにした。やるからにはやれることはやりきろうと思ったからである。

    背水の陣を敷いて、自治会長、シニアクラブ、花の会の会長などの役割に専念してきた。悔いのない人生としたかったからである。

    亡き父親も故郷でやってきたように、この世に生まれたからには、人生の最終路はどんなことでもよいから少しでも人のために役立つことをしたいと思ったからである。

    これができたのは、家族の支えと自分の健康プラス幸運があったからであろう。何事も自分の力だけではできるものではない。組織の運営は役員の皆さんの力が結集して発揮できるものである。いつの時代、どの組織でも、支えてくださる人に恵まれてきた。感謝と報恩の思いである。

4   けじめと幸運

   人生にはけじめが必要である。1年半後には85歳がやってくる。歳とともに逐次整理をしてきたが、85歳で全ての任を終えて、後の余生は自分のことに専念したいと思っている。  

    そんなことを言っているが、明日のことはわからないのが人生である。計画どおり行かないものだ。長い人生の後半70台で心房粗動、腎臓がん、膀胱がんと三度の大病を克服してきた。幸運にも「生かされた命」を授かった。生かされた命のお陰で、多少でも自分の思いを何とか成し遂げることがではきたことに感謝している。これ以上を望むことはない。ばちが当たるというものだ。

   人のために役立つことは、すべからく、自分のためであることに帰一すると言ってよいのではなかろうか。そこにはどんなに忙しく苦労があってもやり遂げたという充実感と満足感があった。それこそが生きる力であり、活力の源泉となっていた。