こころのふるさと(36) はわい温泉と東郷池(6)

 去る5月4日~5日法事でふるさととっとりに久しぶりに帰った。歳を重ねれば重ねるほど、故郷に帰ってみたいとの望郷の念は強くなってくるが、「故郷は遠くにありで思うもの」になってきた。

1  はわい温泉と羽合・はわい・ハワイ 

   大東亜戦争敗戦後、長瀬・浅津・橋津・宇野の4村が組合立の羽合中学校を設立し、その後「羽合町」が誕生した。「はわい温泉」は羽合町からくるもので、「はわい」が同音の「ハワイ」と関係づけられたのであろう、こうしたことから「ハワイ」との関係ができたと聞いている。  

    昭和の町村合併、地域振興、観光地として町おこしの機運の中、友好親善の証として、地区内ではハワイアンの踊りが老若男女を問わず、隆盛を極めたものである。昭和の時代、ふるさとへ帰省するたびに、ハワイアン、郷土民謡の踊りが盛んであっのに驚いたものであった。いまはどうであろうか。

    私も、昭和の自衛隊勤務時代に、全国各地に転勤するたびに、自己紹介で「羽合・はわい・ハワイ」の出身ですと良く使わせてもらった。わが故郷を日本のはわいと宣伝するとともに私自身を印象付けるのに大いに役立ったものである。

    子供の頃の大東亜戦争後しばらくして、長瀬・浅津・橋津・宇野の4村が合併して、「羽合町」となり、平成時代に、羽合・東郷・泊の3町が合併して、湯梨浜町となった。

    それにしても、「浅津温泉」「東郷温泉」・「はわい温泉」という呼び名がそのまま残ったのは良かった。 

2    東郷湖

    今や東郷湖とも呼ばれているが、子供の頃は東郷池と言っていたので、私にとっては東郷池と言う方が座りがよい。子供の頃、池の真ん中あたりに暖かい温泉が湧き出ていると聞いていたがどうであろうか。

    夕方と朝方の東郷湖の風景は素晴らしい。そこに住まなければ四季折々の素晴らしさを写真に収めることはできない。

    法要後の会食は、はわい温泉は「羽衣」で行われ宿泊した。両親や長兄の時代は、末っ子の私は一番若かったのに、集まった親戚の中でも男性では最長老となってしまい献杯の音頭をとった。

    食事は素晴らしく故人を偲び、こうして親戚縁者が集うえにしを作ってくれたことに感謝した。こうしたことがなければこうのように親戚縁者が一堂に集まることはないであろう。

    歳をとってきて感じることは、人生は長いようで短いということである。あっという間に過ぎて行くものだ。「夢幻のごく」という言葉が実によく分かる歳になってきた。

    翌朝は5時に起きて、湖岸沿いを歩き東郷湖の朝を眺めることにした。少し寒かったが早朝の湖面を眺めることができた。 水鳥の活動も結構早いものだ。足音に驚いて飛び立っていった。

3 はわい温泉

 はわい温泉は、情緒豊かで落ち着いたところである。 幻想的な湖畔の眺めは格別である。家庭を持った若い二十代の時から帰省のたびにはわい温泉にはしばしば泊った。また、望湖楼、羽衣などで羽合中学の同級会が開かれ宿泊し同級生と語り合ったものである。

 このようにふるさと宇野と同じように、はわい温泉は私の人生において、切っても切り離せないものであったように感じている。

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 《 はわい温泉お楽しみガイド及びホテル羽衣 の案内パンフレットから 出典 》

  

4 故郷の思い出・写真に収めたはわい温泉

 故郷の夕日

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《 ホテル羽衣の2階の窓にあかねに染まる故郷の夕日が目に染みた。》

❷ 故郷の朝日

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《 早朝、東の方向、ふるさと宇野の山々から昇ってくる朝日を拝んだ。》

❸ つると折り紙

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《 ホテル羽衣にちなんだであろうか、つると折り紙がさりげなく置かれ印象に残った。》

❹ 早朝の東郷湖

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❺ ホテル羽衣

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