こころのふるさと(35) 日本の名水百選に選ばれた宇野地蔵ダキの水(5)

1    宇野の地蔵ダキの水と日本の名水百選

   ふるさとに帰って、一番行きたいところはと問われたら「ダキの水を飲む」ことだと答えるであろう。

   生家から歩いて3分もあれば行ける。早速、宇野ダキの水を飲みに行ってきた。子供の頃と全く変わらぬ水量豊かで勢いのあるダキの水は名水と言われるごとく、美味しさは格別である。このダキの水を飲んで、初めてああ故郷に帰ってきたと言う実感が湧いた。

     昔は簡易水道もなく、ダキの水は生活用水そのものであった。スイカが冷やしてあるわ、食器洗いができるわ、夏ともなれば海水浴後に必ず行ってダキの水を浴びるのが日常的であった。小学生の頃、ダキの水の下で体をかがめて頭から浴びたら、その冷たさが身に沁み心身ともに引き締まったものである。真夏でも冷たいダキの水に打たれ、イチニイサンと数えながらじっと我慢した思い出は70年の歳月が過ぎても鮮明によみがえるのである。

    また、ダキの水は、酒造りなどに使うため大きな容器を積んだ馬車や車で運ぶのを子供の頃からよく見かけたものである。

     ダキの水場は、女性たちの会話のたまり場でもあった。そこにはダキの水を中心に生活の臭いがいっぱいあった。

    平成20年日本の名水百選に選ばれてから、有名となり広く世間に知られ、観光化したが、その美味しさは子供の頃から身体で感じており、昭和の時代、帰省のたびに必ずダキの水を腹一杯飲んで元気をもらって帰ることにしていた。

    昔から知る人ぞ知る「隠れた名水」として世に知られていたからだ。

    今は昔と変わらないが、宇野地区も各地の集落と同じように簡易水道が設置され、昔のような生活の臭いは無くなった。これも時代の流れというのであろうか。  

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《  平成30年5月4日撮影、昔から知る人ぞ知る「隠れた名水」として世に知られていた宇野地蔵ダキ 》 

 

2   名水・宇野地蔵ダキの管理

 ダキの水は、平成20年日本の名水百選に選ばれてから、広く世間に知られ、観光化するにつれて、ダキの水の管理保存のため、ダキの水保存会が設けられ、管理も行き届き清潔そのものである。

 名水を大量にに採水できるように運搬車や駐車場も用意されており、至り尽せりの配慮がなされている。ダキの水が世に知られ観光化されたことは時代の流れであろうが、私の心にはしっかりとダキの水が生きている。

 名水の解説や管理ついては、鳥取県/広報湯梨浜にネットで掲載されているので掲載した。 

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 《 ダキノ水のすくそばに、名水を水タンク同に大量に採水できるように運搬車や駐車場も用意されており、至り尽せりの配慮がなされている。》

 

3 ダキの水の弟分宇野神社入り口の水 

 ダキの水と同じように宇野神社の入り口左の湧き水もダキノ水の弟分と言ってよいであろう。同じ山から湧き出るものだけに同じ水脈ではなかろうか。子供の頃、簡易水道のない時代は、ふろの水はここから運んだものである。バケツ二つを肩に棒で担いで風呂桶に運び満杯にするのがわたくしの役目であった。

 農作業で家族は忙しく、ふろの水くみは子供の仕事になっていた。一番下の末っ子の私がこの役目を担うことになったのは小学生3・4年生くらいになってからである。兄姉たちがこなしてきた役目が自分に回ってきたが、当然のこととして受け継いだように記憶している。

    中学に進むと野球のクラブ活に熱中しで暗くなってから家に帰っていたので、小学生の時だけの役目であったように記憶している。

 家族の中における役割分担を自然に学び、当時、人並み以上に体格は良かったが、小学生で何回も何回も水運びしたことが強健な身体作りに結びついていたのではなかろうか。

 今回もこの水場を訪れて「お水さんありがとう」と感謝した。何の変哲のない水場であるが、腕白子供時代の思い出の場所であった。一輪の花が飾られきれいに整理されていて今も昔も変わっていないことが強く印象に残った。 

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 《 一輪の花が添えられていたダキの水の弟分の水場、今から70年前小学生の時、役割分担でふろの水を何回も何回も運んだ。両端のバケツのバランスをとって肩に食い込む担ぎ棒を何回も左右の肩に替えながら運んだ。子供ながら自分の役割を果たした満足感があったように記憶している。 》

 

4 平成の名水 宇野地蔵ダキ     ( 鳥取県/広報湯梨浜 「宇野地蔵ダ」 出典) 

区民に心から愛されるダキ 

 宇野の東端にある「南無妙法蓮華経」と刻まれた巨岩と、地蔵3体を祭る法華堂。そこから流れ出るわき水は、古来から生活用水に利用され、上水道が完備される昭和40年代半ばまで、台所用水として宇野区民に重宝されていました。
 このほど「宇野地蔵ダキ」が選ばれた「平成の名水百選」は、地域住民などによって主体的に保存活動が行われているわき水を、昭和60年の「昭和の名水百選」に加え、新たに環境省が認定したものです。
 「宇野地蔵ダキ」の近くに住む人たちは、戦前から「宇野地蔵ダキ保存会」を結成し、毎日のように周辺の清掃や花などのお供えをしています。保存会の米沢義隆さんは「ほったらかしにすると、すぐに藻が生えてきたりします。いつだれが見てもきれいだと言ってもらえるように、掃除は欠かさないようにしています」と語ってくださいました。
 毎年宇野では、「地蔵盆まつり」を地蔵ダキ周辺で行っており、古くから伝わる「宇野三ツ星盆踊り」を区民総出で踊ります。平成16年からは、名水を後世に守り伝えていこうと、「宇野地蔵ダキまつり」が同時開催されるようになりました。
宇野の誇りはわが町の誇り
 
 1日に約70トン流れ出るわき水はカルシウムを多く含んでおり、「甘みがあり、くせがなくておいしい」と評判です。昭和60年に鳥取県の「因伯の名水」に選定されて以来、町外から水をくみに訪れる人が増えています。
 町内唯一の蔵元「福羅酒造」も、酒造に地蔵ダキの水を利用しています。同酒造の清酒「山陰東郷」は、過去10年間で、鳥取県新酒鑑評会で知事賞を四回、全国新酒鑑評会で金賞を6回獲得した名酒。昨年から杜氏を務める一級酒造技能士・福羅隆元さん(松崎二区)は、水をこう評価します。「酵母を増殖させる『酒母』という、本仕込の前段階の工程で、地蔵ダキの水を使用しています。酒母は酒の質を決める重要な工程。地蔵ダキの水は”強い“ので、酵母がよく増えます」。 
 名水百選の認定を受けて、本田齊区長は宇野地蔵ダキへの思いを、次のように語ってくださいました。「地蔵ダキは区民の生活と密接な関係があり、地域の宝です。わたしも子どものころから親しみ、一緒に大人になったようなもの。子どもたちが将来、自慢できるような地蔵ダキであってほしいです。今後は、町とともに、観光面などでの地蔵ダキのあり方を話し合っていきたいと思います」。

仕込みを行う福羅さん(写真左)と清酒「山陰東郷」(写真下)

宇野にある国の名勝「尾崎氏庭園」で知られる尾崎邸の井戸水は、地蔵ダキと同じ水脈のもの。井戸水は庭園にある池に流れ出ています

 《 鳥取県/広報湯梨浜 宇野地蔵ダキ 出典 》