昭和の航空自衛隊の思い出(370) 空幕人事課人事第2班長として共同機関研修訪問

   昭和61年(1986)12月5日、空幕人事課人事第2班長として着任し、早速取り組んだことは、少人数であるが航空から送り出している統合幕僚会議事務局・自衛隊中央病院自衛隊体育学校防衛大学校などの共同機関等へ勤務している隊員の適切な人事管理に資するため現場の状況を研修・確認することであった。

 このため早速研修訪問したところ、当該機関はもとより勤務隊員から喜ばれ、勤務場所の状況、担当業内容などを直接確認する事ができた。

 一般の部隊・機関に勤務している隊員については、それぞれの任免権者がしっかりと人事管理しており特に問題はないが、陸海空の共同機関に勤務している隊員に関しては、航空幕僚長が准空尉及び空曹の任命権者であり、人事第2班が所掌していることから、昇任・異動等に関して、 当該機関の人事部門のほか、航空代表・先任幹部の報告連絡によるものが多く、関心をもってきめ細かな人事処置をする必要があった。

 また、私自身が、昭和30年(1955)6月航空自衛隊に入隊して以来、教育訓練・勤務・研修等で陸海空の部隊・機関を訪れたが、共同機関については、ごくわずかな特定のところしか訪れたことがなかった。

    こうしたことから、当該機関を研修して、勤務隊員のおかれている状況をつぶさに視察し理解する必要があった。

 関係機関の理解協力により、隊員との面談・懇談の機会を設けていただいた。どの航空の先任幹部も、当該機関に勤務している航空隊員の人事面の処遇改善についての関心が強く、積極的に当班を訪問したり、直接電話をもらうことが多かった。

    とりわけ、防衛大学校の航空先任教授の糸長芳輝将補は熱心に活動され、その活躍は目覚ましく勤務隊員の人事管理を充実することができた。こうしたこともあり防衛大学校に勤務した隊員とは、班長職を離れても近況等がもたらされ、退官後も交誼が続くことになった。

    それぞれの隊員がその職務を立派に遂行し、防大勤務後も部隊等において活躍し、航空自衛隊に輝かしい貢献をし定年退官を迎えていったことは特筆すべきことであった。

防衛大学校研修 昭和62年5月20日

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《 当時の防衛大学校のパンフレットの一部 》

 

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《 防衛大学校を訪問するのは初めてであった。班員の大堀健事務官を同行した。大堀君は、当時若手の優秀な事務官で、内閣官房防衛省人事教育局などを経て、現在、自衛隊大阪地方協力本部副本部長として活躍している。》

 

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《 航空から派遣されている准空尉・空曹の勤務場所を回り、各隊員の職務・役割・処遇状況を確認した。国家の軍事組織の骨幹をなす幹部を養成する防衛大学校には、空自から選抜された優秀な准空尉・空曹が配置されており、それにふさわしい処遇をどのようにするかを主眼として研修したことを覚えている。》