西警団司令部人事部長として、昭和58年3月から60年8月の2年半の在任間、団司令の指導のもと、精力的に取り組んだことが「離島勤務者の異動管理」であり、離島勤務者が安心して勤務できる人事管理を推進することであった。
次の補職は、密かに胸中で熱望していた准尉・空曹及び空士の人事を担当する空幕人事2班へ配置され、班長として全国部隊等を対象とする広範囲の異動管理を含む諸問題に取り組むことになった。
人事部長の後任は敬愛する安長豊2佐で、かって西空司令部人事部で一緒に仕事をした仲間であった。安長2佐が引き続き懸案の課題に取り組み、実に立派な成果を挙げたことが強く記憶に残っている。
1. 離島サイトの幕僚訪問による離島勤務者の実態把握
昭和58年3月15日付で 西警団司令部人事部長として着任、1か月後の昭和58年4月21日~23日にかけて第17警戒群(見島)を幕僚訪問した。最初の幕僚訪問であった。
航空自衛隊 における 西部航空警戒管制団の特色は、7個サイトのうち4個の離島サイトを有していることから「離島勤務者の異動管理」が最大の課題であることを認識していた。
若い時代に中部航空警戒管制団において、要撃管制官として峯岡山に勤務し、全国のレ-ダ-サイトを研修したことがあった。また、総隊司令部及び航空方面隊司令部において人事幕僚として、主として人事諸計画を立案した。
しばらく上級司令部勤務がつづき第一線部隊から離れていたので、人事部長として、まずやることは実際に離島部隊の現地に行って勤務環境・勤務体制及び人事管理等の実情を把握することにあった。
司令部勤務も落ち着き念願の部隊訪問ができるようになった。業務処理、予算の関係もあり毎月1回程度の割合で部隊訪問を行った。
訪問先部隊では所定の計画に基づき、部隊長との懇談及び人事に関する問題点との要望のほか基地内を中心に、直接、隊員の勤務部署を訪れ、勤務管理・主要幹部との懇談‣官舎地区の状況、小・中学校の状況の確認や上級空曹との懇談の場を必ず設けてもらうことにした。
とりわけ、せっかくの機会であるので、上級空曹に対する講話と懇談の時間を設けてもらい、隊員の一番の関心事である異動管理、人事管理の方向について話しをする一方、上司が望む上級空曹について問いかけたものであった。
また、夜の部では、幹部・空曹と懇親し、出来る限り生の声を聴く機会を設けていただいた。幕僚訪問の結果は、副司令・団司令に報告し、処置すべき事項は直ちに回答処置した。団レベルで解決できることは関係部長と調整し、策案を決定し対処した。将来の課題事項は上級司令部へ要望しフォロ-アップに努めた。
2. 離島勤務隊員の異動交流
❶ 西警団における最大の課題「離島勤務隊員の異動交流」
西警団における准尉・空曹及び空士約1,900名のうち見島・海栗島・下甑島及び福江島サイトに勤務するの隊員は約700名で全体の約36%を占めていた。この異動交流をいかに適切に実施するかにあった。
団における異動交流を難しくしている背景は、九州出身者が空自の准尉・空曹及び空士隊員の1/3・約12,000名であるのに対して、九州で勤務できる隊員はその1/2・約6,000名であった。従って残りの6,000名は九州で勤務したくともできず、九州以外で勤務している勘定であった。
これは、一西警団がすべてを解決できる問題ではなく、航空自衛隊全体の課題であり、沖縄交流・サイト交流・教官交流・地連勤務者交流から航空自衛隊の准尉・空曹及び空士隊員の経歴管理・人事管理に関わる課題であった。
空自及び団のの状況を見ながら懸案の「離島勤務者の異動管理」に懸命に取り組んだ結果、逐次、着実に推進することができた。
❷ 手づくりのかわら版である「服務だより」の発行
時代は、情報化社会へ移行しつつあった。上級司令部への要望(異動数の拡大・赴任旅費の増額等)・勤務年数基準の設定、諸計画への反映をはかりつつ「PR作戦」を展開した。
隊員の異動に対する理解・協力を得るためには意識改革が必要であり、手づくりのかわら版である「服務だより」を頻繁に発行し、小隊・班レベルまで配付し、末端の隊員に届くようにした。
在任間、人事班長北方伯3佐のもとに人事班の総力を結集して、初号から76号まで発行した。安長2佐にも引き継いでもらい更に充実した内容のものが継続発行された。
この発想の原点は、小松基地で第6航空団司令部人事班長として勤務した折、次男がお世話になったら串小学校担任の関本孝三先生が「手づくりの学級通信」を熱心に毎週発行して保護者として感銘を受けたことがあった。いつの日かこうした類いの通信・「だより」を取り入れ、発行したいとの夢を秘めてきたことにあった。
以下、その一端を紹介する。
《 「服務だより」は、大きな反響を呼び、離島サイトの青年隊員からも多くの声が寄せられた。見島サイトの高間3曹や高柳士長の漫画「わが初夢」は、離島勤務の現状と隊員の切なる願望・心情を実によく描いたもので 、どんなことがあっても初夢を実現させなければと心に誓ったものであった。》
3. 離島サイトの幕僚訪問
❶ 第17警戒群(見島) 昭和58年4月21日~23日
《 昭和58年当時の見島町の観光パンフレットの一部 》
《 上級空曹との懇談と講話の時間は、どこの部隊に行っても設けてもらった。一般的に幕僚訪問は、当該関係者との調整等で終わるが、人事担当者として積極的に関係者と対面し、生の現場の意見要望を把握することに留意した。その点、どの部隊とも積極的に協力してくれた。》
❷ 第9警戒群(下甑島)
《 昭和58年当時の下甑島の観光パンフレットの一部 》
❸ 第15警戒群(福江島)
《 昭和58年当時の福江島の観光パンフレットの一部 》
❹ 第19警戒群(海栗島)
《 昭和58年当時の対馬の観光パンフレットの一部 》