1.冬将軍との戦い
昭和50年7月から52年7月までの小松基地勤務で冬期における冬将軍との戦いはすさまじいものがあった。
航空自衛隊小松基地は、日本海側で戦闘機部隊を有する唯一の基地であり、昼夜を問わず戦闘機はいつでも発進待機にあり、24時間滑走路が使える状態に維持している。
冬期になると、中空施設隊から派遣された除雪の機械化部隊等を含めた除雪部隊が編成・運用された。基地の当直幹部に上番したとき、夜半から早朝にかけてどんどん積もる降雪時はまさに雪との戦いであり、飛行場の\除雪作業対処で一睡もしないで指揮所に詰めたこともあった。
山陰の鳥取育ちの私にとっても、降雪は子供の時から慣れていたが、厳しい冬期の飛行場におけるブリザ-ドは壮絶なものであった。一寸先が見えないぐらいで除雪部隊の苦戦を垣間見ることがあった。ここにも黙々と戦闘機部隊を陰で支える一群があった。
初級幹部時代に要撃管制官として、冬期のレ-ダ-サイト勤務や24時間の航空警戒監視・要撃管制の任についてその厳しさは体験してきたが、空の守りに精進する戦闘航空団も全く同じであった。
冬将軍が間もなく到来する。小松基地に思いを馳せながら、今も昔も変わらないであろう厳しい気象環境下で整斉と任務を遂行している全国の部隊・隊員に敬意と感謝の念でいっぱいである。
小松基地ホ-ムぺ-ジ(出典)
小松基地は、我が国の平和と独立を守る抑止力そして対処力として有効に機能できますよう、隊員一丸となって任務及び訓練に精励し、日々基地の精強化に尽力しております。また、地域社会との共存共栄を目指し、地域住民の皆様との交流を深め、円滑な基地運営に努めております。
当基地と日本海を隔てた諸外国との位置は近く、航空機で約1時間の距離にあります。この状況からも当基地の果たす役割の大きさがご理解頂けると思います。
当基地は対領空侵犯措置の任務を与えられ、主に日本海正面における国籍不明機の警戒にあたっています。
2.除雪要員の採用と運用
私が小松基地に勤務した当時、昭和38年1月末の「38豪雪」は語り草であった。
小松基地勤務で思い出すのは、人事担当者として、毎年11月頃採用試験を行った非常勤隊員(除雪等作業員)のことである。確認のため今年の募集案内をネットで見たら次のとおりであった。
当時の非常勤隊員は、除雪等作業員のみであったが、現在は基地環境整備作業員、警備業務従事者も所要に応じて募集採用されているようだ。
小松基地に地元から冬期間、約50名前後の人員が採用されることは限定期間とはいえ安定した雇用の面からも有用であった。基地から非常勤隊員に採用され、班長に指名されることはこの上なく名誉なことであり地元の名士並みであったことを覚えている。
班長クラスになると、人格・識見、経験、除雪作業等全般の作業管理に優れた者が指定され、その作業管理は見事なもので自衛官並みであったと記憶している。
それにしても、小松における冬期の夜間の飛行場の除雪、除氷作業は厳しいものがあった。人事担当者として、基地当直幹部として、猛烈な寒冷下で非常勤隊員の除雪、除氷作業を確認してきた。有効にして得難い除雪等の人的戦力であった。ここにも戦闘航空団、緊急発進を陰で支えいる人たちのいることに感謝したものであった。
《 非常勤隊員(除雪等作業員)募集案内 小松基地ホ-ムぺ-ジ(出典) 》