小松基地の第6航空団には、司令部人事部において人事班長として、昭和50年8月から52年8月までの2年間勤務した。遥か昔のこととなったが、80歳となると良き思い出しか残っていない。
色々な困難にも直面したであろうが、苦しかったことは全く頭に浮かんでこなくて、楽しかったことだけが残っている。人生はそれだから満足感や充実感を持つて終えることが出来るのであろうか。
1.千里浜海岸のキャンプ
千里浜(ちりはま)海岸で小型の天幕を3張構築しキャンプをした。ここは日本で唯一の車で走れる砂浜(全長約8km)であった。地元出身の金田一義君が準備した小型の地引網を張り、魚を追いつめて獲ったりしたものである。
能登半島国定公園の雄大な波打ち際が延々と続き、沈む夕陽を見ながらの語りあった。小松基地に勤務したから出来た思い出であった。
《 千里浜海岸のキャンプ、左から兵頭俊策部長、三角熊雄、金田一義、北川義雄の各君、村田典生班長、濵田、三浦彬史君、工藤勲君が撮影した。一番若手の工藤勲君は皆から愛され鍛えられた。 》
2. 盛り上がった形破りの忘年会
兵頭人事部長を囲んで宴会を良くやった。忘年会は「粟津温泉」に1泊して融和団結を深めたものである。このまとまりは指揮統率の象徴であり、兵頭部長の人徳でもあった。
勤務評定と称して、一年間の成果を暖かくかつユ-モラスに評価・表現したもので、部長から賞品が授与された。
《 兵頭部長にマイクを向けられて、一年を顧みたのであろうか。 》
《 気分も乗って、流行歌を歌ったのであろうか。》
《 宴会といえば、鳥取県の郷土民謡「貝殻節」「関の五本松」を三味線に合わせて唄った。温泉場ならでわの三味線の伴奏が見える。小松基地在勤間に「山中節」を覚えた。小松ではさすがに練達に交じって唄うことはできなかったが、他基地へ転勤してからは時折宴会で披露し小松時代を懐かしく思った。》
《 興も乗ってみんなと一緒に踊った。歳を重ねるにつれて、しまいには「安来節」に合わせて「ドジョウ掬い」を始めるようになった。これも現職時代の良き思い出である。》
《 部長の評価は、昼間は服務指導、夜はカイガラ節、八面六臂の活動で忙しい男とあった。いろいろな策案をやらせてもらった。》
3.お世話になった皆さんと思い出
〇 人事部長 兵頭俊策さん
兵頭部長は部外幹候11期でCS19期、私がCS21を卒業し、西空司で人事幕僚として地連勤務者講習を担当した折、空幕募集班の担当幕僚として参加されたときがはじめての出会いであった。
兵頭俊策人事部長は、泰然として度胸が据わり、実に気さくできっぱりとした方で、状況判断と決心の速い名部長であった。野立官舎は同じ棟で、宴会の度に自宅に招かれ、盃を交わすほどご厚誼をいただいた。人事部の指揮統率と部下の信頼が厚く最も敬愛する上司であった。
〇 人事班
❶ 長橋定男さん
長橋定男さんはは、金沢出身で人格円満・温厚にして抜群の事務処理能力で私の片腕となって補佐をしてくれた。間もなく監理部広報班長に抜擢され管理部門で大活躍した。退官後は金沢にて大管長として宗教界でも活躍されている。
❷ 三浦彬史さん
《 三浦彬史さんは、三沢市出身できめ細かな業務処理で、事務官の本領を発揮して私の片腕となって活躍してくれた。人格者で班員から信頼も厚く、とつとつとした語り口は印象的であった。》
❸ 金田一義さん
《 金田一義さんは、誰からも愛される人柄で、積極的に何でも引き受け面倒見の良い人であった。千里浜海岸で小網を打ち捕獲した魚を料理してキャンプをしたことがある。その下準備は金田君の尽力によるものであった。後年、人事幹部として俊腕を発揮した。》
❹ 大野浩美さん
《 着任して間もなく、チュウリップと風車で有名なオランダの軍人の娘である女性と文通交際していると告げられびっくりした。ついに相思相愛が結ばれた。日本の宴会にも慣れてもらおうと、部の宴会にも招待した。真面目で堅実な家庭を築いた。努力家で信頼され人事分野で活躍した。》
❺ 北川義雄さん
《 輪島出身の北川義雄さんは、コツコツと人事業務を的確に進めることで定評があり、班の中核となる信頼できる人事空曹であった。人事分野で大活躍をした。》
❻ 工藤勲さん
《 工藤勲(太田改姓)さんは、着任した当時、夜間高校に通学する努力家であった。父兄として学校にも行った。弁論大会で優勝し県大会にも出場した。小松で結婚し、部隊の大先任として活躍した。)
❼ 原貴美子さん
原貴美子さんは人事記録を担当し、几帳面で事務処理に優れていた。自衛官パイロットと結婚し幸せな家庭を築いた。ご主人の任地からいつも便りをいただいた。
❽ 黒崎由貴子さん
黒崎由貴子さんは、在勤間、1名の採用に20数名の応募者から採用試験に合格し、人事班に配置した。人事記録担当から会計、厚生とキャリアを積み内局勤務を経て幹部事務官として大成し活躍した。
〇訓練班
❶ 訓練班長村田典生さん
《 村田典生さんは、海軍を語り、自製の海軍精神注入棒なるものを飾っているが印象に残っている。お酒が好きで愛すべき先輩であった。》
❷ 三角熊雄さん
《 三角熊雄さん は、温厚で訓練班長を積極的に補佐し、整斉とした訓練業務を処理していたのが印象的であった。》
❸ 鶴見正男さん
《 鶴見正男さんは、お父さんがヤマメを養殖しているとのことで、皆で川魚料理を親しんだことが強烈に残っている。若手訓練空曹として活躍し大成していった。》
〇援護班
❶ 援護班長泉芳男さん
《 援護班長泉芳男さんは、小松出身で最年長で人格者であった。隊員の就職援護業務に俊腕を発揮しておられた。亀の甲より歳の功 で隊員の信頼抜群であった。》
❷ 清水稔さん
《 清水稔さんは、福井市出身で大先任として堂々として援護班長を補佐し、隊員の相談役に徹していたのが印象に残っている。》
そのほか武者宏さん、小野寺仁さんなど人事関係者にお世話になった。