昭和の航空自衛隊の思い出(135) 初の総務人事班長業務の取り組み方

1. 総務人事班長として策案の試行 

❶ 具体策を持って取り組む
 今までの隊務経験から総務人事班長の業務は初めてであっても自分の役割と最も力を入れてやるべきことなどは明確であったので躊躇することなく具体策をもって取り組むことにした。
 業務の進め方も過去の前例にとらわれず、従来から問題とされていた内容の把握、実行して不具合なところなど改善を要するところは新しいやり方を取り入れることにした。それには担当空曹の話をじっくり聞いて、状況を的確に把握し、タイミングを考えながら策案を織り込み試行していった。一歩一歩慎重に策案も試行と改善を重ねながらの実行していった。
❷ 担当空曹の理解と協力 
 新しいやり方については、担当空曹の理解と協力が必須である。新米の初級幹部であればいろいろと難してこともあるが、2尉の古参であり、それなりの部隊経験を積んだ部内出身者の強みであった。空曹の立場からすれば、同じ仲間から選抜試験に合格して幹部になったものであり、納得と共感を得れば数倍の援軍を得たようなものである。
 少人数の班の利点で、一緒にやり遂げた仕事であるから良い成果が出れば担当空曹の業績として司令や周囲に評価してもらえた。「成功は部下に、失敗は自分で背負う」こうしたことは少人数の部署であるとやり易かった。
❸ 各隊の先任空曹との連携
  私は整備学校総務課勤務において、時の福田正雄1曹・大先任空曹の総務課長の補佐、先任の役割と活動要領について学び、これぞ自分の目指す「先任空曹像」であると思い私なりの先任空曹の姿を描くに至った。
 そこから発展して、航空自衛隊の精強化の一つの施策に「空曹の地位の向上と先任空曹の制度化・活用充実」があると考え、自分なりの方策を温めてきた。そのチャンスがやってきたのだ。
 群本部の総務人事班長は、各隊の先任空曹と最も緊密な関係にあった。毎日の命令等の伝達から服務指導までどの幹部よりも各隊先任空曹との接点があり、この利点をいかに上手に活用するかに重点をおいた。
 先任空曹は、年配の経験豊かな上級空曹、しかも各隊の空曹・空士の頂点に立つ先任の役割・影響力は絶大であることを十分に理解・認識しており、その知恵とノウハウを取り入れるべく積極的に協力を受けられるように努めた。
 その根底にあるものは、部隊の中核をなす空曹団の頂点に立つ先任空曹に対する敬意と知識・技能・経験に対する信頼である。単に階級の上下といった外形的な物の見方ではなく、一緒になって真に精強な部隊を作り上げるために必要不可欠な職位・存在であると考えて対処した。
 この考えは定年退官まで終始一貫して持ち続け、後年、各級司令部等の人事幕僚として活動の大きな目標となった。従って今日の航空自衛隊の各部隊の先任制度を見て感慨深いもがある。
❹ 内務班長の協力と内務班の自主運営 
 内務班長も同様である。私はかって内務班長を経験した。服務指導幹部として、内務班長に対しては、階級・年齢にかかわらず、内務班長の職責への理解と誇りと責任、信頼のおける存在として対応した。いずれも相互の信頼の確立、緊密な意思疎通、情報の共有などを図った。
 新しい取り組みとしては、内務班長の役割の拡大、内務班の自主積極的な運営などを重点に置き、内務班長会同などを積極的に開催した。
 旧軍に対する刷り込まれた世間のイメ-ジからすると内務班は陰湿ないじめの温床のように思っている人もいるかもしれないが、航空自衛隊は創設当時から明る組織であった。
 私の体験からこれだけの資質能力とやる気のある優秀な営内居住の青年層をどのようにまとめて隊務運営に寄与させていくかは大きな課題であり、自主‣自律を基本とる服務管理体制をどのように作り上げるかに精魂を込めた。
 いろいろなやり方を服務指導担当幹部として試行し改善を図った。 
❺ 指揮官の信頼を得る努力
 群本部の幕僚は、司令を積極的に支えことにある。副官という立場で司令部幕僚の活動状況を見聞してきたのが活きてきた。総務人事班長として、幕僚の立場を十分に認識し、司令の意図するところ、方針にもとづいて実施し、具体的な実行方法については策案を積極的に申し述べて最善策を追求することにした。
 これらを進めるにあたっては、司令の自分に対する信頼度がもっとも大切であることから実行の進捗状況等の報告を励行し、指示があれば即座に取り入れることにした。指揮官にへつらうのではなく真の信頼を得ることが必須であった。
 幕僚として、「真に指揮官の信頼を得ていることを部下隊員が感知する」ようになれば部下は自ずついてくるものだ。指揮官から信頼されていない上司に部下隊員が付いてくることはない。自分の上司が指揮官からどの程度に評価・信頼されているかはあらゆる状況から部下が一番知っているからである。  
 整備補給群は、実に部隊規模からも総務人事幹部としての経験を積み、実力をつけるために適所であり、自分の考える策案を試行し充実発展させる良い機会となった。
 

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 《 昭和44年、整備補給群の野外訓練の指揮官となった。小休止の時の写真のようだ。 》

 

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《 酒も強くなり、誘われればどこの宴会にも出かけ空曹のみんなとよく飲み話を聞いた。》