1 . 空幕防衛部長山口二三 将補の自決
昭和43年3月5日、突然の航空幕僚監部防衛部長山口二三将補の自決は驚きであり、衝撃的であり、痛恨の極みであった。責任感の強いお人柄であることは副官としてお仕えして十分承知しており、元部下の秘密漏えい事件に関して責を一身に背負い、武人としてけじめをつけられたものと受け止めた。
昭和41年5月から42年7月まで山口二三将補が中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令の在任間、副官として務めた。42年7月空幕防衛部長へ栄進されるにあたっては、離任が近づいたころ隊員が利用していた小料理屋の「𠮷野」で副官の私と副官付の溝畑小浪さんを招いてくださり、労をねぎらっていただき感激したことがある。
その後、山口空幕防衛部長は、 昭和43年2月29日夕北部航空方面隊の視察を終えられて入間基地に帰着された。入間基地所在の主要な指揮官を廻られた後、午後18時ごろひょっこり副官室に立ち寄られ、私と溝畑さんを相手に談笑されたことがあった。
それから数日後に、忽然として逝かれた山口二三将補のすべては、昭和57年3月「追薫」にまとめられている。自衛隊在職中はもとより、今日に至るも副官として山口司令にお仕えした充実した日々が想い出される。 心からご冥福をお祈りいたします。
2. 入間航友会「航友」により報じられた故山口将補の葬儀の模様
私のアルバム帳に、当時の 入間航友会「航友」に掲載された故山口将補の葬儀の模様の切り抜きがある。昭和43年3月7日執り行われた葬儀の模様が克明に記されている。
《 入間航友会「航友」による昭和43年3月7日 故山口二三将補の葬儀の模様、私もお手伝いをさせていただいた。 》
3. 故山口二三将補を偲ぶ「追薫」の編纂
昭和57年3月、故山口二三将補を偲ぶ「追薫」が編纂・発行された。弔辞や思い出などを通じて、部下の秘密漏えい事件の発生についして、その責を一身に背負われて自決をされたことがよく理解できる。
次回に触れることとします。