こころのふるさと(28) 羽合中学の卒業文集をめくって(5)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」

    昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。

 中学時代のもので残っているものは、記念写真と卒業時の文集ぐらいである。今の時代であれば、デジタルでいくらでも記録することができるが、昭和20年代は写真屋さんで撮ってもらう以外になかった。さすが写真屋さんだけあって、白黒ではあるが何十年たっても古びても残った。

 文集はさすがに古びてバラバラになりそうである。ざら紙は変色したが、中学生時代に残したもので、内容はともかくどんなことを考えていたのか読み直してみるとおもしろい。全員が卒業に当たって短い文章を綴っており、内容を見ながら卒業写真の顔を探して、読んでみると中学生時代がおぼろげながら思い出される。

 どこの学校でも毎年こうした文集や写真帖を作成しているであろうが、70年近くなると懐かしさを越えて、追悼記を読むような感じとなった。

 この文集が優れているのは全員のものが載っていることだ。当時の校長先生はじめ教職員の手間を厭わなかった素晴らしい企画であったように思う。いつの時代であってもこうしたものは諸先生のご尽力と指導で残っていくものであるようにで思われる。

 今読み返してみると、こんなことがあったのか、こんなことを考えていたのか、文章は固いがまともなことを言っているなぁと気恥しい思いである。人間って歳をとっても本筋になるものは変わらないものだと感じた。

 

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《  昭和26年3月羽合中学校卒業記念集、昭和20年代であるためしみがついたりしてきた。バラバラになりそうなくらいだが、立派な文集である。  》 

 

2. 先生と生徒

 私にとって、小学校・中学校で教えを受けた先生はいつの時代、いくつになっても「恩師」である。学校の先生は聖職者といわれた。いつの時代も親は親であり、先生は先生である如く、本質は変わっていないにもかかわらず、おかしな時代になってきた。本当にふつうごくあたりまえの普通になるのはいつであろうか。

 羽合中学の卒業文集「思い出」には、当時の先生が全員登場されているが、担任先生に的を絞ることにした。

 鈴木治文先生(故人)と洞ケ瀬二一君、絹川初春先生(故人)と大口富美子さん、秋久憲忠先生と松村喜一郎君(故人)、小矢野正彦先生(故人)と浜崎延博君(故人)です。

 

3.   浜崎延博君の「小矢野正彦先生の横顔」 

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《 浜崎延博君の「小矢野正彦先生の横顔」、浜崎君は太平洋戦争終結時に朝鮮半島から引き揚げてきた。混乱の中で勉強もできず、一つ歳は上であったが、小学生の時編入された。宇野小学校は男子が10名ほどで少なかった。よく宇野の東島で一緒に魚取りをした。 頭がよく理科系に優れ、阪大に進んだ。高校の二九メンバ-会が阪神淡路大震災の後、復興途中の神戸で同期会が開らかれた折には、こまめにビデオを撮って編集したものを送ってくれた。》

 

4.  小矢野正彦先生の卒業生へ贈る言葉

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《 小矢野正彦先生の卒業生へ贈る言葉、実に凛々しい姿の先生であった。先生の口から発せられる言葉は、いつもはきはきして切れがよく、姿勢態度は模範的で心から尊敬していた。小矢野先生はすでに鬼籍に入られた。御冥福をお祈りいたします。 》

 

5.   羽合中学第4回卒の同期会への出席

 昭和26年3月鳥取県の羽合中学を卒業して以来、若い時代から同期会は開かれてきた。自衛隊に入隊してからも定年まで出来る限り参加するように努めてきた。

 当時、卒業生の主力は、郷里にそのまま残るか、関西方面に就職するかが主流であった。このことから同期会も、地元と関西の交互で開催されてきた。私は可能な限りどちらにも参加するように努めてきた。

 古稀喜寿など節目節目には、同期会が持たれ幹事には感謝・感謝であった。参加することは生きていることの証でもある。「行けるときには行っておく」「やれるときにはやっておけ」といわれたがそのことがよく分かる歳になった。

 

6.   羽合中学第4回卒 傘寿同期会

 昨年は4月8日羽合中学第4回卒の傘寿同期会がはわい温泉で行われたが、がん治療のため止む無く欠席せざるを得なかった。持つべきは竹馬の友である蔵本康雄君が欠席した私の分を確保して、後日同期会の様子を認めて写真等を送ってくれた。幹事の洞ケ瀬二一君にあらかじめ余分に写真を作ってもらい送付してきてくれたものである。

 蔵本君のこどものころから友達を大事にする優しい暖かい性格に感激した。子供の頃からの性質は全く変わっていないのだ。小さな集落であったが子供の結びつきは強く素朴な田舎に育ったことに感謝した。80歳・傘寿を迎えた歳になっても、こうして友達を気遣う心情に心を打たれた。これが同期・同級というものであろうか。ありがたいことである。

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《 羽合中学第4回卒 傘寿同期会のしおり 》

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《 羽合中学第4回卒 傘寿同期会の記念写真、恩師引田先生、杉本先生を囲んで 》