こころのふるさと(27) 羽合中学の卒業文集をめくって(4)

1.羽合中学卒業記念文集「おもいで 」

    昭和23年4月から26年3月まで、鳥取県の中部に位置する羽合町(現在、合併によって「湯梨浜町」となった。)の羽合中学校へ生まれ育った宇野から毎日4キロほど離れた中学に徒歩で通った。

    中学時代のもので残っているものは、記念写真と卒業時の文集ぐらいである。今の時代であれば、デジタルでいくらでも記録することができるが、昭和20年代は写真屋さんで撮ってもらう以外になかった。さすが写真屋さんだけあって、白黒ではあるが何十年たっても古びても残った。

 文集はさすがに古びてバラバラになりそうである。ざら紙は変色したが、中学生時代に残したもので、内容はともかくどんなことを考えていたのか読み直してみるとおもしろい。全員が卒業に当たって短い文章を綴っており、内容を見ながら卒業写真の顔を探して、読んでみると中学生時代がおぼろげながら思い出される。

 どこの学校でも毎年こうした文集や写真帖を作成しているであろうが、70年近くなると懐かしさを越えて、追悼記を読むような感じとなった。

 この文集が優れているのは全員のものが載っていることだ。当時の校長先生はじめ教職員の手間を厭わなかった素晴らしい企画であったように思う。いつの時代であってもこうしたものは諸先生のご尽力と指導で残っていくものであるようにで思われる。

 今読み返してみると、こんなことがあったのか、こんなことを考えていたのか、文章は固いがまともなことを言っているなぁと気恥しい思いである。人間って歳をとっても本筋になるものは変わらないものだと感じた。

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《  昭和26年3月羽合中学校卒業記念集、昭和20年代であるためしみがついたりしてきた。バラバラになりそうなくらいだが、内容は立派な文集である。  》 

 

2. 生徒と先生

 私にとって、小学校・中学校で教えを受けた先生はいつの時代、いくつになっても「恩師」である。学校の先生は聖職者といわれた。いつの時代も親は親であり、先生は先生である如く、本質は変わっていないにもかかわらず、おかしな時代になってきた。本当にふつうごくあたりまえの普通になるのはいつであろうか。

 羽合中学の卒業文集「思い出」には、当時の先生が全員登場されているが、担任先生に的を絞ることにした。

 鈴木治文先生(故人)と洞ケ瀬二一君、絹川初春先生(故人)と大口富美子さん、秋久憲忠先生と松村喜一郎君(故人)、小矢野正彦先生(故人)と浜崎延博君(故人)です。

 

3.   松村喜一郎君の「秋久憲忠先生の横顔」

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《  松村喜一郎君の「秋久憲忠先生の横顔」、松村君は私の家の真向いで竹馬の友のようなものだった。記憶力抜群で、とりわけ子供のころのことは克明に覚えていた。大学を卒業後、NHKに入局し報道国際部で活躍した。》

 

4.  秋久憲忠先生の卒業生徒へ贈る言葉

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《 秋久憲忠先生の卒業生徒へ贈る言葉、毎回、同期会にはご健在で出席してくださり全員に励ましの言葉をいただいています。 》