昭和の航空自衛隊の思い出(89)初めての房総の安房鴨川

1 風光明媚な鴨川

    昭和36年9月、要撃管制幹部課程を卒業し、全く地理不案内の房総半島の任地へ向かった。今のように交通機関が便利な時代ではなかった。

 未知の房総半島、新任地に思いを馳せながら妻と一緒に国鉄東海道線に乗り、東京を経由して、国鉄房総線で安房鴨川駅に着いた。

 着いてみると、周辺には風光明媚なところが至る所にあり、土地柄は申し分がなかった。

 当時の鴨川は、観光地化しておらず、素朴な田舎町に見えたが、今や鴨川市となって広域にわたって発展している地域である。鴨川に在住して最も気に入ったのは「前原・横渚海岸」と「仁右衛門島」であった。幾度も海岸を散歩したりしてウミガメを発見して保護したり、夏場は仁右衛門島に出かけ、小岩で遊んだりした。

 鴨川シーワールドができる遥か昔のことで、清澄寺・誕生寺・鯛の浦・花畑など終生忘れない鴨川である。ただ残念であったのは、親しくなった漁師が誘ってくれたのに任務優先、訓練で漁に連れていってもらう機会を逃したことであった。

❶ 前原・横渚海岸

 

 《 前原・横渚海岸、昭和30年代は、早朝海岸を散歩すると誰も歩いた足跡がない渚が続きが最高であった。この画面から人・車・ビルを消した状態であった。》

 

公益社団法人   千葉県観光物産協会 ホ-ムぺ-ジから転載(出典)

 千葉県公式観光物産サイト まるごとe!ちば

 

《 前原・横渚海岸、人影のない海岸の美しさは、50年前と変わらないであろう。『日本の渚百選』の1つに選ばれたことを知り、当時の海岸の散歩がよみがえってきた。》

 前原横渚海岸は、弓なりの渚と入り江の美しい自然芸術のようなリゾート都市・鴨川のシンボルの海岸で、「海の日」を記念した『日本の渚百選』の1つに選ばれています。
 この海岸沿いには、約1キロメートルにわたりトロピカルな海浜遊歩道「鴨川潮さい公園」が続いており、ワシントンヤシやガス灯風の街灯が雰囲気を盛り上げ、散策やジョギング、サイクリングに人気です。
また、年間を通して波のコンディションがいいことから多くのサーファーで賑わっています。

❷ 仁右衛門島    南房総観光推進協議会ホ-ムぺ-ジから転載(出典)

 

名勝仁右衛門島
 名勝

南房総鴨川太海浜の目前にぽっかり浮かぶ約3万平方メートルの島。昔ながらの手こぎ船で渡るこの島は新日本百景にも選ばれた名勝地。風光明媚、豊かな自然と源頼朝日蓮聖人の伝説が残る神秘的な島でもあります。

 島のいわれ

源頼朝の伝説によると頼朝が戦に敗れ安房に落ちのびた際、夜襲を避けて身を潜めた場所を提供したのが初代仁右衛門でその手柄により、褒賞としてこの島をもらったと言われています。昔より所有者平野仁右衛門が一戸だけ住んでいるところから仁右衛門島といいます。

 仁右衛門島の神々

仁右衛門島には江戸時代にまつられた家内安全、心願成就、商売繁盛など霊感あらたかな正一位稲荷大明神及び蓬島弁天財のほか長寿の神寿老人もありますので、どうぞ御参詣下さい。

 
 鴨川市についてウイキペギァ参照(出典)

  ❶ 鴨川市

 房総半島の南東部、太平洋岸(外房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南約70㎞に位置する。東京都心から100km圏内である。

 広い市域の中央部を鴨川地区、東部を天津小湊地区、南部を江見地区、西部の内陸の地区を長狭地区と呼称する。太平洋沿岸部は国道128号、内陸部は保田方面へと接続する長狭街道、千葉方面へと接続する久里浜街道が縦貫している。

鴨川地区(鴨川・田原・西条・東条)には、鴨川シーワールドを主として観光地や市街地が集中している。天津小湊地区(天津・小湊)の北部は丘陵地帯であり、清澄山を抱え、日蓮聖人ゆかりの清澄寺、小湊には誕生寺といった名所が立地している。沿岸部では漁業が盛んである。江見地区(江見・太海・曽呂)は、仁右衛門島太海フラわパ-クセンタ-といった観光施設を持ち花作りが盛んである。長狭地区(吉尾・主基・大山)は、米どろの長狭平野が拡がり、山に囲まれ、田畑が広がり、農業が盛んである。 

 

2.懐かしい地引網に出合う

 町内の一番名の通った旅館に一泊して疲れをいやした。早朝、旅館裏の前原・横渚海岸で地引網が行われているのを聞いて、地引網の見物に出かけた。郷里鳥取県の宇野海岸では子供の頃から慣れ親しんだ地引網に出合えていっぺんに鴨川が気に入った。

 観光客用とはいえ、地引網に出合えるとは因縁であった。故郷の山河を思い、日本海で育った私がこうして太平洋の海岸近くで生活するようになったことに不思議な縁を感じたのであった。

3.買い物は掛け売りの商店

 安房鴨川駅に近いところのアパ-トの一室が住居となった。現在からすると粗末な部屋であったが、当時としては町内の住宅事情から選択の余地がなかった。近くに買い物は食料品の類は何でもある個人商店で、掛け売り(即金でなく、一定期間後に代金を受け取る約束で品物を売ること。)で月末に現金を支払った。

 今まで品物の購入は現金でそのつど支払ってきただけに戸惑いがあったが、「郷に入れば郷に従え」でそのうち慣れて、便利なものだと思うようになった。

 よき時代の買い物風景で、顔なじみとなって、お互いに挨拶を交わし、自衛隊の〇〇さんで通り、大福帳のように品物と金額記入してもらった。支払いは確実だから自衛隊勤務者は多くが利用して得意様であった。