昭和の航空自衛隊の思い出(83) 要撃管制幹部を目指して

1.   要撃管制幹部を選んだ 理由

 いよいよ昭和36年1月、要撃管制幹部英語課程を学ぶことになった。要撃管制幹部を選んだ 理由は、わがブログ・昭和の航空自衛隊の思い出(77) 「 初級幹部として新進路」で記した。

 現在、自衛隊OBとしては、ひげの隊長・佐藤正久参議院議員・元防衛政務官と元航空自衛隊「要撃管制幹部」であった宇都隆史参議院議員・外務政務官の活動振りについて定期的にホ-ムぺ-ジを開き、国家国民のために頑張ってくれと声なき声援を送っている。

 きしくも、宇都隆史オフィシヤャルブログに「要撃管制幹部」について触れたものがあったので紹介しよう。

   これを読んで、要撃管制幹部を志すに至った理由などは、両者の間に40年の年代の違いや表現は異なっているが大体同じようなことを考えていたのであった。

   また、要撃管制幹部の下積み時代は、1日でも早く部隊で所定の運用態勢資格を取得するため機器や機種が異なっても練成に精進する姿は、時代を超えて同じであること、空の守りに人知れず精進したことに共感を覚え、一層の活躍を期待している。

  元老兵も 、17会(要撃管制幹部)の賛助会員の一人として、現役の活躍ぶりを知るたびに、若い時代に24時間体制の防空指令所に勤務した頃がよみがえり、胸が高鳴り元気が出てくる。

〇 昭和の航空自衛隊の思い出(77)    「 初級幹部として新進路」

1.  航空戦力の一翼を担う要撃管制幹部を選んだ 

   部内幹候選抜試験を受験するにあたって、全く未知の「要撃管制幹部」を志望した。航空自衛隊の主任務である空の守り・防空作戦の一翼を担う要撃管制官を選んだ。直接的に作戦運用面で働きたいとの願望が強かった。

   その背景には、第1期操縦学生として入隊し、操縦者として防空の第一線に立っている同期生の彼らと一緒に日本の空を守ろうと言う情熱・意気・気概であったように記憶している。

 特に、要撃管制という分野は、新しい防空システムの導入が着手されようとしていた時代で、人材の確保と教育訓練が急ピッチで進んでいた。

   ただ、当時の私は、警戒管制部隊についての知識は防空作戦の概念を学んだ程度で、実務の実態を承知していたものではなかった。幹部候補生課程が進むにつれて、実際に警戒管制部隊で勤務していた候補生の話を聞いて離島等における厳しい勤務環境の実態を知った。しかし、初心は揺るがなかった。

 

 〇 参議院議員  宇都隆史 オフィシャルブログ

  「要撃管制官」とは、航空自衛隊における作戦運用の要ともいえる職種です。
平時においては24時間、日本の領空の警戒監視を行い、許可なく接近する彼我不明機(Unknown)に対してはスクランブル発進を下令します。
   また有事の防空ミッションにおいては、要撃戦闘機やペトリオットミサイルに、攻撃命令を指令するのみならず、陸上自衛隊対空ミサイル部隊(中SAM)や、海上自衛隊イージス艦P-3C対潜哨戒機とリンク連接を行って作戦情報の共有をする等、自衛隊統合作戦の要でもあります。

生まれ変わるなら、また日本がいい

 懐かしき、MISAWA AIR BASE

    宮城からから一夜明けて、さらに北上し青森県三沢を目指しました。平成10年に防衛大学校を卒業し、奈良の航空自衛隊幹部候補生学校を出て、初めて勤務したのが三沢でした。元々、私はパイロットを志望していました。(あの頃は、みんな「TOP☆GUN」のマーべリックに憧れていたもんです…ラブラブ)しかし、奈良の幹部候補生学校で視力検査に引っ掛かり、「それなら、パイロットと共に戦いサポートする職がいい」と「要撃管制幹部」を選んだのです。そして、初めての職場が、青森県三沢基地(北部防空管制群)でした。
    要撃管制幹部というのは、日本全国のレーダーサイトを使い、戦闘機やペトリオットに戦闘指令を出すのが仕事。言うなれば、戦局を見つつ戦闘機という駒を動かす「棋士」のようなもので、パイロットにとっては頼りになる女房役です。
    冷戦が終了したといっても、領空に接近するロシアの軍用機に対して、頻繁に千歳基地三沢基地の戦闘機がスクランブル発進していた頃でしたから、職場は常にピリピリしたムードに包まれていました。
   そのような中、要撃管制幹部としての資格を取得するため、朝は4時起きで職場へ行き、皆が来る前に管制のシミュレーション訓練を行い、一日の訓練を終えた後もパイロットとの反省ブリーフィングがあるため、家に帰りつくのは23時過ぎ。毎日毎日ヘトヘトになりながら、仲間達と支え合い歯をくいしばって頑張った下積み時代を過ごしたのが、ここ三沢であり、私のマザーベースだと思っています。

 

2.  要撃管制英語課程

 昭和36年1 月、要撃管制幹部英語課程(16週間)を学び、同年6月課程修了した。

 要撃管制用語はすべて英語であることから、要撃管制に関することはもとより警戒管制全般に必要な英語をすべて習得した。パイロットになるための英語と異なり要撃管制、警戒管制のことは初めてのことばかりであった。

  明けても暮れても英語一筋であったが、かって英語教育隊で経験してきたのでそれほどストレスはたまらなかった。警戒管制システムの運用と次の実機による要撃管制技術の習得に直結した内容であった。

 速度の速いジェット機を要撃管制をするには、会合点等先の先を予測して判断決心し、要撃機操縦者に瞬時に適時適切な指令を発することが求められるため徹底して反復訓練をした。

    一瞬でも的確な指令が出来ず、遅れたら致命傷となり、任務が達成できないので当然のことであった。創設期の手動の警戒管制組織時代といえどもも、息を抜けない任務であった。