昭和の陸上自衛隊の思い出(17) 「徒然の記」 夜の豊富な話題で鍛えられる

陸上自衛隊の思い出・「徒然の記」

 この記は、昭和54年11月浜松基地にある飛行教育集団司令部人事第1班長(自衛官人事担当)(現航空教育集団司令部)として勤務した、2 佐・44歳の頃、浜松医療センタ-に短期間、検査入院した折に「徒然の記 」として、24年前の昭和30年陸上自衛隊に入隊し教育訓練を受けたころを回想したものである。

  *現在から当時を見てどうであったのか所感と説明を【  】に加えることにした。

  

21.   夜の豊富な話題で鍛えられる

     20名の内務班は、採用基準ギリギリの25歳の者から私のような最も若い歳下の19歳の者も含まれてあり、年齢層に幅があった。

    消灯までの班は、話が弾ずみ、話題はどうしてもあっちの話からこっちの話と花盛りであった。

    盛り上がった話はどうしても誇大に自慢する者がいて、純真無垢な私にとっては免疫力・抵抗力をつける良い機会となった。

    また、実社会において豊富な体験をした者の話は、あらゆる意味で社会勉強になった。

 

【    ❶  歳上・ 社会経験者の多かった1月入隊組

    どの会社でも4月は新卒の入社が主力を占め、年の中途の採用は社会経験のある者が入ることになる。昭和30年代の陸上自衛隊も同様であった。

    昭和30年代前半の陸上自衛隊の新隊員の採用状況と入隊年齢構成を承知していないが、当然に、年間の中で1月入隊となると、新卒者が少なかったのは理解できる。

    私の属した新隊員の班は20名で自分が最も若かった。大部分の者は前職経験があり、豊富な社会的経験を持つ者であった。中には再入隊者もいた。

     私は、高校3年中途で大学進学を断念したが、将来方向に決心が固まらず、採用通知は受けたが、再三の通知に関わらず入隊を伸ばし伸ばしをし、大阪で4か月季節労働の体験をした後、遂に中途の1月入隊した。

  盛り上がる夜の社会経験談

   こうした経緯を経て、 結果的には、新隊員とは言っても自分より歳上の社会経験を持つ者と一緒に生活を共にすることになった。

    私にとっては、社会人としての出だしからいろいろなことを極めて短期間の内に経験することになった。

   毎晩、 全く経験したことのない体験談を聞くことになり、耳学上は相当な社会的経験をしたような気分がした。その中の一つにエロ話もあった。自然に免疫力・抵抗力が付き、誇張した話は話半分で聞き流し、どこまでが本当なのかなど分かるようになり、どんな話を聞いても驚くことがなくなった。

    特に、有益であったのは、自衛隊入隊に至るまでの経過・動機のほか一般社会におけるさまざまな体験談であった。多種多様な職業の経験者の失敗・成功談、苦労話は昼間の教育訓練とは異なった内容で片隅で聞き入った。新隊員は外出はできない、酒は飲めない生活であったから毎晩車座になって話が弾んだ。

    こうして、私にとっては、 毎晩が社会の実相を学ぶ「夜の社会勉強講座」の機会となった。これほど内容の豊富な社会的な体験談、しかも20歳代前半の話はどこに行っても聞けるものではなかった。様々な話を聞いたことはその後の人生に大きな糧となった。自衛隊に入隊してから起伏のある人生航路を歩むこととなったが、定年までの35年余の自衛官生活を毅然として節を曲げることなく進む原動力となったような気がする。

 ❸  短期間の季節労働の経験

    陸上自衛隊に入隊する前に、地元の職業安定所の紹介で、わずか4か月の短期間、大阪の染色会社で季節労働者として働いた。そこで、工場の労働、宿舎の共同生活体験は社会の実相を知ることとなった。

    余談ではあるが、近年話題となった例の忘れられた年金問題で、社会保険事務所からの突然の照会で、60年前の短期間の労働体験には、年金対象の保険が支払われており、立派な会社であったことを知ることとなった。

    全く対象になるとは思っていなかっただけに、日本経済が貧しい厳しい時代の会社でありながら、短期の季節労働者に対しても正当になすべきことをなしていた会社があったことが心底から嬉しかった。これが敗れたりといえども「心まで失っていなかった日本」があった。保険料の納入など「ごまかし」などなかったのである。

   ありがたく申請し、ほんの僅かながら年金が追加された。実直で親切だった担当課長、輸出品として工場から港へ大型トラックで運ぶときは、いつも運転席の横に助手として指名された。若き日の忘れがたい労働体験であった。

    転じて、航空自衛隊第1期操縦学生となったときは、高校時代の延長のような元気と大空の夢いっぱいの若者の集団で、別世界であった。話題が全く異なった。まさに同年代の若者そのものの集団であった。

❹  新しいことへの挑戦

   人生で無駄なことはない。陸上自衛隊における短期間の新隊員の生活と教育訓練は、自衛官生活で非常に有意義であったと思っている。季節外れの入隊で多種多様な人生経験を持つ新隊員と交わり、真剣に生きている人間社会の実相を垣間見た。

   入隊前の季節労働陸上自衛隊の新隊員、航空自衛隊操縦学生、挫折と新天地への転進、部内幹候への合格等々人生路線は一本線ではなく、単線・複線・支線・鈍行・急行といくつもの 路線を経験できた多彩な自衛官人生を歩む事が出来たからである。

    人の運命とは不思議なものだ。出だしから様々な経験をすることになったせいか、自衛隊を退官してからの第2の人生も、全く未知の世界、自衛隊勤務とは関わりのない自動車保険料率算定会(現保険料率算出機構)を自ら選んで進んだ。

     新しいことに挑戦することを厭わない性格かもしれない。この世の人生を終えるまでそうありたいと願う。

 

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 《 昭和30年春.新隊員教育隊の同じ居室の班員と一緒に、左端筆者19歳 》