昭和の航空自衛隊の思い出(28)   私にとっての第1期操縦学生基本課程

 昭和30年6月2日航自衛隊に入隊した。幹部学校に所属し、防府南基地において、「操縦学生隊」て第1期操縦学生基本課程を修学することになった。「第1期操縦学生の軌跡」については、多くの同期生の著書に語られており、同じことを記すことは省略する。

 私にとって、第1期操縦学生の基本課程はどんな課程であったのか、特に印象に残っていることだけをとりあげることにした。

1.その当時何が期待されたか

 60年前の私のアルバムを開いていたら、下記のような古びた挨拶文書が綴じられていた。この文書は、昭和30年9月20日付で航空自衛隊の改編が行われ、操縦学生の所属が幹部学校から幹部候補生学校に変わり、学校当局が操縦学生の父兄宛に発出したものである。

 帰省した折、父から見せられたのをもらって保管していたのではないかと思う。当時の航空自衛隊に期待されたものは何であったのか、戦後初の操縦学生に期待したものは何であったのか、たま、訓育指導の方針などから創設期の航空自衛隊の大きな潮流を垣間見ることができる。

 学校長岩城邦弘1佐(海兵・空将)以下、操縦学生隊長武者成一3佐及び区隊監事(区隊長)第1区隊長岩本展一2尉・第2区隊長酒井真2尉・第3区隊長豊釜勇2尉・第4区隊長斎藤欣二2尉の名前が列挙されている。区隊長にはそれぞれ個性豊かな優秀な人材が登用された。

 「想うに制空無くして国防の無い事は今日世界各国の通念でありまして各国ともに国防の主力を専ら航空兵力の増強に置き、たゆまぬ努力を傾注している現状であります。」

 「その防衛力の先駆たり中核たるものがパイロットであります。我国は敗戦後は10年の空白を過ごしました。今こそ先進国に塁を磨くべく懸命の努力をなすべき時期であります。そして限り無き若人の情熱に大きな期待を託して居ります。」

  「この学校に集う学生諸君はすべてその大いなる使命と興望を担って居ります。特に第1期生、第2期生諸君が新制度の下に創設の士として此の興望に背かず大空に雄飛し得た時こそ航空分野に於いて先進国に追付き追越す秋至れるものと私共は確信してやみません。」

  「由来歴史をひもとくに付け、創設期には幾多の人材が輩出している事を思い出します。それは何ら施設も教育者も教材も凡有、不備、不完全な状態を越えた志ある若人の情熱と努力が之を解決し大きな夢を実現させるものではありますまいか、実に当校1ケ年の教育は将来に大きな夢を実現さすべき素地と基盤を与えるものでありまして・・・」

   内容を読み返してみると、昭和30年の学校当局の操縦学生に期待する意気込みがひしひしと感じられる。今では考えられないほどの環境であったが、教官と学生が一体となって、操縦学生のパイオニアならんとした意気込みがよみがえってくる。

 まさに「第1期生の誇り」と「若人の情熱と努力」が満ち満ちていた青春時代であった。

 

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《 昭和30年9月操縦学生の家庭に送られてきた挨拶文書、学校長岩城邦弘1佐、「がんさん」と親しまれた歴戦の勇士として有名であった。》

 《 続く 》