昭和の航空自衛隊の思い出(3)  防人の転勤と引越し

1.  転勤引越しは防人の勲章

    一昔前、転勤族の象徴である引越し回数の全国チャンピオンに防大2期の長谷川孝一氏(元航空教育集団司令官・空将)が選ばれて話題になったことがある。回数はおぼろげながらであるが、30数回以上の引越しであったように記憶している。

    現在の転勤引越し事情は知らないが、昭和の時代は自衛官ならずとも企業戦士は転勤が多かった時代であった。昭和30年からの昭和の時代は、日本が最も熱かった、輝いていた時代であったのではなかろうかと思える。

  転勤引っ越しとなると、一般会社の多くは引っ越し業者に委託し、かかった費用は会社持ちが普通であると聞いていたが.、国家公務員・自衛官 は距離と本人、家族数よりなる定額の移転料であつた。初めての任地の場合、職場の連中が休暇をとって手伝ってくれたものであるが、引っ越し業の発展充実によって、次第に業者活用に移行していった。 

   それにしても 今の時代は引越し専門業者を自由に選択できるし、引っ越しの家具家財を丸ごと運搬できて、さほどの準備を要さなくなって楽になったように見受ける。

    こうしたこともあり、昭和30年代から定年退職するまでの引っ越しは実に大変なことで精神的にも肉体的にも経済的にも大きな負担がかかったが、一回づつそれを乗り越えるたびに、引っ越し上手となり、腹が据わって自信のようなものが生まれたものである。

    新婚当初は私が主役であったが、時の経過とともに、いつの間にやら家内が主役となり、家での荷物の事前準備は全て彼女がやってくれた。いつの間にやら引っ越しのベテランになっていた。

    引っ越しチャンピョンといった企画自体が、昭和の時代を反映したものといえよう。OBとなり、永住の地を浜松と定めてからは、24年間住所は同じで、平凡な穏やかな日々であるが、松尾芭蕉の句「兵どもが夢の跡」ならぬ「転勤引っ越しは防人の軌跡」といった感じである。

 

2.引越し住所記録の知恵

 私は、長谷川氏と同年代で、航空自衛隊に昭和30年から平成2年まで35年余航空自衛官として勤務した。長谷川氏ほどではないが、家族ぐるみの20回近くに及ぶ引越し先の住所を列挙せよといわれたら「さて?」となったものである。

     そこで回数が増えるに連れて、いろいろな面で困るので、転居先を記録し一覧表にしたものだ。それと同時に転勤すると、まず、転入先の市町村の役所に住民登録する。住民票はその後、いろいろな個所の書類提出に必要なので、生活の知恵で1通余分に取ることにした。

 運転免許証の住所の書き換えとなると、1年に2回転勤したことがあるので、ついつい届けができず、次の勤務地の所轄警察署に行ったら住所経歴を求められて本籍地の役場から戸籍謄本の附表を取り付けて提出したことがある。懐かしい思い出である。

 当時の住民票の写しや引っ越し記録一覧表を見ると現職時代の引っ越しにまつわる様々なことが思い出される。

 

3.転勤引越しの効用

 自衛隊における転勤引っ越しは、主として官舎住まいであった。職種や職場は異なっても同じ防衛任務に就いている運命共同体の社会であり、その絆は深まっていった。

 出来る限り荷物は最小限にすることにしたが、タンスなどは傷ついて2・3回買い替えたものである。あまり使わないものは荷物を解かず保管したり、引っ越しの度に家具家財をきれいにするので引っ越しが大掃除を兼ねていたようだ。

 家内は、若いころは官舎内の夫人同士の集まりで手芸や料理を習ったり、いろいろな面で親切にしてもらった。何十年たってもその厚誼に感謝し年賀状のやり取りなどが続いている。子どもたちも年長者の家庭でよく面倒を見てもらった。当時はお互いが助け合うということがあたり前で良き時代であったといえる。

 新しい任地には、両親や親せきに来てもらいその土地を案内し喜ばれた。私の一番の収穫はその土地の人たちと交わったことである。官舎の役員をした関係で隣接の自治会の役員と親しくなり仲間に入れてもらったことである。総括して転勤引越しは私たち夫婦にとって、新しいことを学び経験し楽しい思い出ができたことであろう。

 

4. 住んだところ巡りの夢

 過日、天皇陛下が80歳の傘寿を迎えられたのをお祝いする皇后さまの主催された公演「日本の民俗芸能」が皇居で行われ、両陛下が楽しまれたと報じられた。

 私も来年は卒寿を迎える歳となった。自分がやり甲斐をもって精いっぱい生きた人生の軌跡や家族を連れての数々の勤務地と住んだ町や家が時折思い出され話題となることがある。そして一度は家内と一緒に勤務地と官舎を訪れてみたいと思っているが、その夢もなかなかかなわないでいる。

 特に、入居した官舎があった千葉県の鴨川市、埼玉県入間市狭山市、千葉県市川市、福岡県春日市、石川県小松市東京都府中市、福岡県遠賀郡蘆屋町などはぜひ訪れてみたいところである。そこには各勤務地における仕事面の思い出とともに、主として生活の場であった官舎(今は宿舎といっている。)の思い出は尽きないからである。

 官舎は、自衛隊員の義務の一つである「指定場所は居住する義務」、緊急対処・即応態勢と関わりあるが、そこにはさらに同じ志を持った自衛官同士の付き合いと地域社会における自衛隊社会を形成している。このことは自衛隊員だから経験出来たのであって、再び体験できない事柄であるから懐かしいのかもしれない。