こころのふるさと(21) 羽合中学校時代の恩師

1.中学校における先生と生徒

 中学生時代の恩師は、やはり学級担任である。少年時代においては直接指導いただく先生の感化影響は深いものがあるように思える。もちろん担任先生の外に多くの先生がおられ思い出は尽きない。

 昭和23年4月入学から26年3月卒業まで鳥取県東伯郡の羽合中学校においてお世話になった先生は、秋久憲忠(理科)・絹川初春(社会)・鈴木治文(国語)・小矢野正彦(数学)・増田潔(英語)・小谷強(体育)・佐野寿巳(引田)(家庭)・杉本允子(足立)(音楽)等の諸先生が思い浮かぶ。

 

2.私にとっての一生の恩師

 ❶鈴木治文先生

    鈴木治文先生は、熱血漢先生であった。教科は国語を担当されて、1.2年の時の学級担任であった。

    国語に興味を持って勉強したのは先生の影響がかなりあったように記憶している。

    宿題で提出したものには、丁寧に感想・講評を朱書されて返されたものである。中には励ましの言葉が記されており、社会に出てからもずっと保存し「座右の銘」としてきた。非常に感化を受けた先生であった。

    先生が土曜日の宿直日は皆で押しかけて泊まり遊んだことがあった。

    2、3年生の クラブ活動では野球部の監督をされ親しく薫陶を受けた。先生は、常に率先垂範され、生徒と一緒に真っ黒になって特訓、特訓の毎日であつたが試合に勝利する喜びを味わさせていただいた。

    お亡くなりになるまで、何十年と年賀状で近況を報告するたびに暖かい励ましをいただいた。

   私にとっては終生忘れがたい恩師であった。

 

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《 昭和25年2月 羽合中学2年  右前鈴木治文先生・鳥羽佳美君 右後から洞ケ瀬二一君・濵田喜己 》

 

絹川初春先生

    絹川初春先生は、3年生の時の担任で、社会の担当で物静かで温厚な先生であった。

   鈴木治文先生と同様に、お亡くなりになるまで年賀状で近況を報告するたびに励ましの言葉をいただいた。

 先生の社会科の授業も興味がわき得意な科目になっていったように思う。こうしたことから社会全般について、自分で勉強するようになった。また、先生は「羽合町史」の編纂者のお一人で、郷土史に造詣の深い方であった。

 このことから、郷土の歴史に関心を持ち続け、自衛隊勤務間も全国各地を転勤しても郷土史を持ち歩いたものである。

 また、中学時代から自分で新聞を編集したり、新聞の切り抜きをしたりした。自衛隊に入隊後も新聞切り抜きは続き特定項目について深く研究する習慣が仕事の上でも随分と役立ったものである。

 少年時代の先生との結びつきが自分の人生にとって良い影響を与えてくれたことに感謝している。 

 

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 《羽合中学3年 担任絹川初春先生》