浜ちゃん日記 義姉の旅立ち

故人の辞世の句

「うつし世になごりつきねど今ここに

いざ旅だたむ父母のもと    ちよの」

    義姉濱田ちよのが、1月4日98歳の天寿を全うして辞世の句を残して逝ってしまった。

     60歳頃から始めた短歌を創り続け、自分のこの世のお別れの時に披露してくれと、家人に託した辞世の句である。

      喪主の長男濱田昭則が、葬列の最後、故人が生まれ育った宇野を離れるにあたって、お世話になったお見送りの皆様に朗詠した。

故人は、きっと喜んでいてくれたであろう。

 

故人が詠んだ馬の山の歌碑

    宇野と浅津の間に伯耆ロマンの里「ハワイ・馬の山公園」があり、山頂は360度のパノラマが開けている。

    ここは東郷池と日本海の間を隔てる小高い丘で、古墳が多数点在し,「ハワイ風土記念館」がある。

   その周囲に歌碑が立ち並んでいる。その一つの歌碑に故人の詠んだ歌詩が刻まれている。

   「馬の山なだるる坂をのぼりきて精霊しずもる

まほぼろにたつ    ちよの」

 

受け継がれた葬列

    今は形骸化した葬列が昔ながらに行われた。都会等では葬列も実際は行うことなく、葬列の役柄も読み上げだけの形式となってきた。

     したがって、出棺即霊柩車へと進められるケースが大部分となっている。 今回は故人の生前からの遺志により、概ね昔ながらの葬列の形式がとられたものである。

    地区にこうした葬具が管理保管されていることはたいしたものである。昔からの集落の良さが残っているからであろぅか。葬列が集落の道を約300メートルほど進み、斎場へ向った。

 

ありがとう

   明治生まれの私の父は、84歳で逝くまで故人の手厚い世話を受けた。浄土真宗の熱心な信徒であった父は、その都度、最後の最後まで故人に「あんたさんありがとう」と言って亡くなったと聞いている。

    故人が長兄の嫁として心を込めて父の面倒を見た事が伺われる。

    私は末っ子であったので、故人・兄嫁にずいぶんおんぶしてもらって育ったと姉たちから聞いてきた。

 人の一生を飾るには、「ありがとう」の一語に尽きる。私も「ありがとう」と何度もつぶやいた。

 

故人を見送る葬列

 

f:id:y_hamada:20140106110319j:plain

 《 故人が98年の生涯住み慣れたふるさとを葬列が続く 》

 

f:id:y_hamada:20140106110330j:plain

《 親族縁者が棺車をひっぱって、しずしずと葬列が進んでいった。 》