昭和の航空自衛隊の思い出(239) 教育技術講話(2 ) 「啐琢(そつたく)」

1.教育技術課程学生に対し語りかけた短い講話「教育技術雑感」

  昭和56年8月17日~58年3月15日までの1年6ヶ月、第3術科学校第1教育部第4科長として勤務し、幹部・上級・初級人事課程、空曹要務特修課程、教育技術課程・講習及び上級空曹特別講習の教育担当の責任者となった。各課程教育は課程主任と教官が配置され教育を進める体制にあり、科長の職務は各課程主任及び教官を統括し、管理監督することにあった。

   こうした教育体制下において、科長としての担当課目のほかに、随時、教育課目の合間に当該課程の対象者に応じた内容の短いワインポイント的な講話をすることにした。

    当時のことを振り返ると、当該課程を学ぶ隊員・後輩・後継者に将来の活躍を期待して職域・職務・配置に求められる核心となるものを語りたかった。

   入隊以来、先輩たちに育てられてきた。それなりに隊務を経験してからは、職務を通じて後輩・後継者を育てることを常に心がけてきた。いつの日か教壇に立つ日があるとすれば、自分の言葉で、先輩たちから教えられ、経験したことの真髄を語り伝えたいという夢を抱いてきた。

 その内容は、自衛隊生活で経験し学んだことの中で、是非、後輩隊員・後継者に伝えたいこと、今後の勤務において迷いがあるときの道しるべとなり、職務上悩んだ時、壁にぶつかった時に参考として活かしてもらいたいことなどを自分の言葉で直接語ることにしたものであった。

   特に高邁な話でもなく、学問的なものではない。自衛隊における勤務年数と経験においては学生より数段勤務年数と多種な経験を有する先輩の立場から、教範・教程・配布資料にかかれていない事柄を中心に学生に話しかけた。

 新任教官に対する教育技術課程においては、「教育技術雑感」として7話を講話した。講話をした後、例話など省き、その日のうちに、要旨のみ印刷配布した。

 

2.講話その2 「啐琢 (そつたく) 」

f:id:y_hamada:20160213123053j:plain

          「 啐琢 」

1 啐琢(そつたく)

    啐は、卵の内側から雛鳥が吸ったりたたいたりすること。琢は、卵の外側から親鳥が口先でつくこと。 (広辞苑)「機を得て両者相応ずること。」

2 学生と教官

 教育における学生と教官の関係は、啐琢によって成り立つものである。雛鳥と親鳥の努力(タイミング)が一致したとき、卵の殻は破れ生命が継がれる。

 学生の学ぼうとする意欲、新しい知識技能を修得しようとする努力と、教官の教育への情熱と努力とが一致し、両者が一体となったとき、教育の成果が生まれるものである。

3 教育技術課程学生

 第4科長として、初めて迎えた教育技術課程であった。学生は教官として部隊等勤務から当校に着任して各科に配置された幹部であった。

f:id:y_hamada:20160213171318j:plain

《 第66期教育技術課程s56.11.4~12.25・8名、前列左から教官平野定男1曹・第4科長濵田喜己2佐・第1教育部長野中壽1佐・学校長柳田義人将補・副校長桐山敏生1佐・ 第2教育部長・学生隊長等、学生は後列、 新洞道孝3佐・重岡誠1尉・江口稔1尉・緒方昭彦1尉・藤田信行1尉・中西一敏2尉・泉則彦2尉・小里勝教官 》