昭和の航空自衛隊の思い出(47) 統率の基本を学んだ内務班長

1.隊内生活における内務班 

 昭和32年4月小月基地の第1操縦学校で初級操縦課程において単独飛行寸前に操縦学生を免となり、浜松基地の整備学校へ所属となった。学生要員から総務課に配置となり、独身隊員であることから総務課内務班で起居することになった。新入りの時は空士長で、内務班長の二階堂昭2曹、副班長新井孝英3曹をはじめとして15名前後であった。

 間もなく、昇任試験を受け同年8月3曹に昇任し、内務副班長を経て、34年2月には2曹に昇任し、内務班長に任命された。

    整備学校における内務班生活は、昭和32年4月から34年10月までで結婚して営外居住となるまでの2年6月であった。

     今から考えると浜松基地における営内生活は非常に短い期間であったが、私にとっては期間の長短よりも内容の濃い実に多くのものを体験し、学びとることかできた。

 私が総務課内務班で隊内生活を共にしたのは、二階堂昭・新井孝英・波野邦彦・酒井源博・樋高豊美・川名正人・鈴木義勝・二木博行・内野英昭・村上汎正・行天正光・横井・小原宏樹・小久保徳・白岸久夫・竹内一敏・志賀努・前田博・海江田正光・佐藤・清竹・津村・渡辺勝隆の各氏であった。さらに数名の班員がいたが名簿がないので確認できない。

 遥か58年の昔のことて゛、姓は正確に思い出せても名がこんがらがって、もどかしいが正しく記すことができないところもある。

 今日は、教育隊における教育訓練中を除いて、部隊等勤務になれば、時代の推移、価値観の変化、居住空間の設定によって、内務班も一人部屋や少人数、大部屋であってもカ-テンで仕切ったりといろいろな生活形態になってきているものと思われる。

 昭和の時代の内務班は今と比べてどうであったであろうか。2段ベッドだったから大部屋だったから粗悪な環境で恵まれなかったといえるであろうか。営内生活は物的な生活環境だけで推し量れないものがあるからだ。

 ここが世の中、人生の面白いところだ。当時の内務班員は誰も不幸だったと思っていない。むしろ人間関係、人格形成、社会生活・集団生活の中に人間が忘れてはならないものを多く学んだ様に思うのは私の思いだけであろうか。

 

2.  内務班長で統率の基礎を学んだ

 戦後の軍隊物の映画では内務班で新兵が古参兵にしごかれたり、いじめられたりする凄惨な場面がつきものであった。私が20歳代前半の航空自衛隊の内務班は全くそのようなことに直面したことはなかった。

 創設期で内務班の居室は2段ベットで、今日からすればどちらか言うと環境は厳しかったが、自由な雰囲気の中で切磋琢磨する内務班であった。朝昼夕の三食も一緒に行った。風呂も洗面器の中にタオル、石鹸等を入れて、着替えを持って一緒に出かけて、帰りには売店によって談笑してきたものであった。 

 一緒の生活であるから、各人の体調から悩みも自ずとわかりお互いが助け合う雰囲気であった。

 総務課の内務班は15名前後の小集団であった。最初班員、次いで3曹へ昇任し副班長を経て、2曹になって班長に任命された。階級的には班長は2曹で最上位にあり、数名の3曹のほかは全員士長・1士で構成されていた。年齢的にはそれほどの差はなかった。

 内務班長は、特別な職務権限があるわけでもなく、班の最上位者として活模範となって班員を引っ張っていく立場であった。職務上の上官ではなく、小集団の融和団結をはかること、規律のある営内服務を保持することは、何よりも全班員から信頼されることが必須であった。

 私にとって、内務班長の経験は、「統率」「統御」の一端を体得する機会となった。昔から指揮官にとって最も必要なことは「指揮統率」であるといわれている。

 指揮は権限によって行使するものであり、統率は心服せしめるものであろう。両者が一体となって初めて優れた指揮官が生まれ・的確な指揮ができる。

 若い内務班長としては、当然に「統率の何たることか」「統率の真髄とはどんなことか」など特別に意識したり、勉強したりしたわけでないが、内務班員と寝食を共にして自然に内務班長という立場で「率先垂範」「信頼の核心」「統率」、「指揮」・「統御」・「管理」についておばろげながら輪郭を体得することになった。

 後年、幹部自衛官となって、部下を率いるようになって、内務班長の立場がいかに重要で学ぶべきものが山ほどあったことを再認識した。本当に得難い経験をさせてもらっていたのであった。どんなに求めてもできないことを経験することができた。

3.  自衛官としての服務の基本を学んだ

 基地における日常の生活は、自主・自立・自律が基本であった。自衛官としての使命感・責任感といったものは職務と日常の生活の中で確たるものが培われるものであろう。

 そこには服務規則ではなく、律するのは自分である。集団生活を通じてどうあるべきかを自らが考え行動するようになるものだ。頭で考えているようではだめで、任務遂行の現場で体得し確立されるものではなかろうか。

 私の駆け出し時代は、過酷な災害派遣、極めて困難な海外での行動などなかったが、創設期はすべてが整っていなかっただけに創意工夫して対処した。これが厳しい現場に代わる体験につながっていたように思える。

 

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 《 昭和33年5月 総務課内務班全員、前列左から村上汎正・酒井源博3曹・竹内一敏・新井孝英2曹班長・濵田喜己3曹副班長・内野英昭・樋高豊美3曹・鈴木義勝・後列左から行天正光・波野邦彦・横井・二木博行・竹内・川名正人・小原宏樹の各氏 》