神原町花の会(花美原会) 天の恵みとポチュラカの繁殖力と拡張力の利用

 梅雨前線は、時折、集中豪雨など大災害を発生させているが、花畑や健康広場 に撒いた種の発芽や成長面から見ると、太陽と雨は天の恵みである。

 今日は梅雨の中休みを利用して、神原町花の会(花美原会) の管理する花壇2区画にポチュラカのさし芽をした。梅雨時にさし芽を定着させて、梅雨明けにはポチュラカの繁殖力と拡張力を利用して花壇全体が色彩ることを意図したものです。この範囲は逐次拡大することにしています。

 さし芽の区画は、主としてチュウリップラナンキュラスなどの球根類のある場所で、球根類の配置した箇所の空間にさし芽によりポチュラカの特性である繁茂力を発揮させて、夏場休養中の区画を有効に利用するものです。

 毎年、真夏日でも日を追って花数が増えて全面が満開となり、道行く人々の注目を集めております。

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 《 チューリップ、ラナンキュラスなどの球根類の区画に、球根類を配置した箇所の空間にさし芽をした。ポチュラカの特性である繁茂力と拡張力を利用し、夏場休養中の区画を有効に利用するものです。》

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《 平成27年8月10日 ポチュラカの状況、今年もこうした花模様の創出を目指しています。》

 

浜ちゃん日記 健康広場のコスモスの発芽

  健康広場の柵沿いに、10日ほど前にまいたコスモスが発芽した。梅雨入りして久しぶりの雨で何とか発芽することができた。自然界の力とコスモス種の生命力によるものだ。昨年採集した種を利用しており、発芽率は高くはないが予想通りであった。

 土壌環境は,良好ではないが心配することはない。植物は環境が悪ければ悪いほど、周囲の環境に順応して生き延びていくものである。どのようになっていくのか楽しみが増えた。 

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《 砂利交じりの場所で条件は悪いが、環境が悪ければ悪いほどそれに打ち勝って成長するものである。がんばってくれ!  》

神原町花の会(花美原会)(260)  コスモスの種まき下準備

    協同活動による今期のコスモスの種まきは、7月2日(日)の朝を予定している。

今後の天気予報を見ると、明日から本格的な梅雨模様となりそうだ。次の土日は好天のようであるが、さてどうなるか。あらかじめ下準備をする立場としては、五分五分とみてどちらになってもよいように両面作戦を展開することにした。

 本来なら、前日の土曜日に耕運機を動かし、種まきの下準備であるラインをつけておき、作業するときにみんなが間違いなくライン上に種をまくことができるようにしておきたい。また、さらに、土返しによって雑草の発生を少しでも未然に防止することを図っている。

 しかし、連続して雨が続けば、耕運機を入れることができなくなることがある。過去の経験則から花畑がぬかるんでくると耕運機を運用することが難しくなるからである。

1 皆で種まきをする

 会員が多く揃うのは、日曜日の朝の作業である。協同活動の意義は一人でも多くの会員が一緒になって、協力し合って種まきすることである。自分で種をまくことが大事である。種をまき育てることから、わが町を花で明るい街づくりをしたいとする目標が実現できるからである。

2 花摘みをできやすくする

 コスモス種は、バラマキではなく、各列にまくことにしている。それは、開花した後、花摘みができるようにするためである。花畑に来訪者が入っても花を傷めず、出入りが容易なようにするためである。できる限り身体や衣類に花木が触れないようにするためである。

3 草を取りやすくする

 やがて、まいた種が発芽し成長する過程で、どうしても雑草が繁茂してくるものだ。草取りが必要になってくるが、草取り作業をやりやすくすることも大事である。花いっぱい活動は、環境美化と地域との調和を目指している。住宅地の花畑にどんなにきれいな花を咲かせても足元を見たら雑草がいっぱいでは本末転倒であり、興ざめすることになるからである。

 こうしたもろもろの条件を満たす努力をするのが下準備である。花いっぱい活動の隠れた一番大事な仕事といってよいのではなかろうか。

 このことはすべてのことに共通している。下ごしらえ、下準備、下調整などががしっかりされた仕事は必ず立派な成果につながるものである。

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 《 クボタの耕運機は、年式は古いが、立派に10年間役割を果たしてくれている。》

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《 とりあえずの下準備完了した花畑、これからは状況を見て逐次手直しをしていく。 》 

 

老いる雑感(23) あしから来ると赤ちゃんにかえる

 風邪気味のため休養した。身体の調子が悪い時は、理屈なしに休むに限る。無任所の高齢者だからできる特権でもある。

   ゆっくり、のんびりと過ごし、しっかりと睡眠をとったら元気が出てきた。風邪気味も治った。夜の睡眠を十分にとったことが一番良かったようだ。

1   股関節・膝から衰える

   昔から歳をとると「あしから来る」と言われている。下肢の筋力や股関節・膝から衰えることを言っている。最近の新聞テレビなどの広告やコマーシャルを見ていても目につくのは、股関節・膝・筋力の衰えに対する対応である。

    私も70代の時は感じなかったが、80代に入ったら、立ち上がる時に、膝に痛みを感じるようになった。歳を重ねることにあちこちと悪いところが出て来るのは当たり前で、これが老いることの特徴であろう。

   ジタバタしてもしようがない。素直に受け入れざるを得ない。

    そこで対処方法であるが、栄養剤や薬を飲むのもよしだ。私は食事をちゃんととって、自分の足で歩くことにしている。ごく当たり前のことをやることにしている。

    シニアクラブの80歳以上の高齢会員に共通するものは、たいていの方が、あしから衰えるようになって来ることである。このため家か外に出ることをためらい、家に閉じこもることになる。悪循環を繰り返し、遂には退会と相成ることが多い。

2  赤ちゃんにかえる

    歳をとるにつれて、「赤ちゃんにかえる」とよくいわれる。この世に生まれてきた頃の状態に徐々にかえいていくことがある。頭も身体もそうなって来る。家族や施設のお世話になることになる。これは悪いことなはない。

    これまた波乱万丈の人生を乗り切った人間の姿でもある。すべての労苦から解放されて、生まれた時の姿に戻っていくのであろうか。

    人生の最後まで、自分の意思で動き、ポックリとあの世へ行けたらと誰もが願望するが、人生の幕引きはどうなるか誰もがわからない。最後はどうなるかわからないのが、これまた人生ではなかろうか。

    

老いる雑感(22) 人生の終結に思う

   私が敬愛した故池谷二三男様の77日忌の法要が終わり、ご子息から亡き父の自伝「異国の空のもと-ある兵士の抑留記」が複製され送られてきた。

 故池谷二三男様の告別式においては、町民を代表して、弔辞を読ませていただいたご縁である。このたび先輩の自伝の複製配布に際しては、小生の弔辞全文が自伝の最後に掲載された。

 故人に対するご子息の手厚い取り計らいには感動した。生前の故人が子供たちに対して最善の配慮をして天寿を全うされたが、親子とはいえなかなかできることではない。うらやましい限りである。

 故人の波乱の人生や徳行を偲び、謹んで弔辞を再掲するものである。

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《 平成18年8月15日発行された池谷二三男氏の「異国の空のもと-ある兵士の抑留記」》

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《 自伝に掲載された在りし日の池谷二三男氏 》

故池谷二三男様に捧げる弔辞

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《 故池谷二三男様に捧げる弔辞の全文 元第24代神原町自治会長・神原町シニアクラブ会長 》

神原町花の会(花美原会)(259) 神原の原野に咲いたヤマツツジを残したい

    真夏日の梅雨空から一転明日から梅雨空になる天気予報がでたので、神原会館周りに神原町のシンボル花「つつじ」(ヤマツツジ)を16本移植した。既存の3本と合わせて19本のヤマツツジを形成することができた。 

1  「神原町まちづくり構想」の策定

    わが神原町は、昭和30(1955)年に古くて新しい町として誕生した。神原町自治会は、町誕生50周年を記念して「神原町まちづくり構想」を決定した。

 まちづくり構想は、自衛隊勤務時代に各地を転任し,官舎地区の自治会長・副会長等を経験したことから自分が住む町は「こうありたい」との夢をもっていた。定年後、永住の地に居を構えてから推挙されて自治会部長・副会長・自治会長を歴任する機会があった。

 自治会副会長についてから、自治会長になったときの「まちづくりの在り方や運営要領」等を調査研究し、会長就任と同時に「まちづくり構想」の策定に着手したものである。「まちづくり委員会」を設けて、町民の約1割の方に委員になってもらい、町民の要望・意見を吸い上げて、各テーマの専門部会で調査研究、討議し構想をまとめあげたものである。

2  つつじを神原町の花に制定

 まちづくり構想の一つに「神原町のシンボル花として、つつじを選定」した。

    つつじを選定した理由は、今は亡き敬愛する最長老井嶋隆司さんたちから神原町の区域は、昔は「原山」の地名が残っているごとく、野原にヤマツツジが多数生息して花が咲いて美しい風景が見られたとの証言があり、ツツジ神原町のシンボル花として採用されたものである。

 また、神原町には「わが町の歩み」となる町史的なものがなかったことから、資料の収集と聞き取りにより調査研究し編纂することした。この中でも神原町ヤマツツジが多く生息していたことを確認することができた。

 3   元木ヤマツツジからの挿し木採集

   50周年を記念して「つつじの植樹」は、浜松市の緑化交付制度を利用し、一般的な100本のつつじを会館に1本の他各家庭に移植した。このつつじは、今も多くの家庭で毎年花を咲かせている。   

     神原町は、誕生後開発が急速に進み、昔の原野の面影は全くなくなった。町内の一角にある池谷仙太郎さん宅にとどまるのみとなっていたのである。

    その後、ときの自治会長相佐末吉さんが町内の池谷仙太郎さんの屋敷に昔からのヤマツツジが生息していることを見つけた。こうした経緯で、神原町に昔から咲いたヤマツツジのDNAを持つヤマツツジの元木の採集に至った。

4   10年間の挿し木からの育成 経験

 神原町のシンボル花「つつじ」の制定を契機に、平成19年にはかって釜穴川の右岸に形成したツツジから挿し木をして健康広場の開水路寄りに挿し木が育てて移植したりしてきた。

   次いで、植物に造詣の深い相佐末吉さんの助言により池谷仙太郎さん宅に咲くヤマツツジを採集し、挿し木をして家庭で育てる試みをした。多くは枯れたりしたが生き残りの4本を神原会館の一角に移植した結果、2本は順調に育てることができた。

    こうした試みをして経験を重ねて、平成27年(1915)6月ヤマツツジの元木から再度採集し、挿し木で育てた後、さらに畑に移植し成長させてから神原会館へ移植する方法をとることにした。

    このような試行錯誤を経て今回はわりあい成長の良かった16本を選び移植することになったものである。

5 梅雨時の移植と世話

    移植は、休息期が最適の時期であるが、梅雨時、しかも会館には散水設備があることから移植を行うことにした。

    長期にわたって、世話をすることは大変であることからこの際、全部を移植し、区切りをつけることにしたものである。

    梅雨時期が終わるまでは、毎日夕方状況を確認し、根付くまで根気よく世話をすることになるであろう。

6  10年後にかける期待と構想

 「神原町まちづくり構想」は、10年にわたる努力により多くは定着することとなって成果を上げることができた。先人たちが神原の原野で慣れ親しんだヤマツツジをわが神原町にが残したいとする強い思いが、今日の移植に至ったものである。

 神原会館に移植したヤマツツジがやがて成長し、逐次挿し木によって数を増やし神原会館の周囲を飾るようになればと願望するものである。

 言うは易し行いは難し、理想や夢を描くことができるが、挿し木から始めて長期にわたってその実現を図ることは容易ではない。今回の移植はほんの一部でしかない。移植したものが順調に生育し、ヤマツツジが大きくなって花を咲かせるなど本領を発揮してくれる日を期待するものである。

 ヤマツツジの育成は、多くの仲間の協力支援によって推進されてきた。わが家では、ヤマツツジの挿し木の世話は家内がやってくれた。ヤマツツジに寄せるが花美原会代表たる私の「神原の原野に咲いたヤマザクラを後世に残したい」とする願望は、道半ばであるが次に続く人たちに託することにした。幾代にわたって営々と受け継がれることが大事であるからである。

 人生はほどほどがよいからである。

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《 平成19年に神原会館に記念植樹したツツジ、10年の歳月を経て健在である。 》

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《 神原町のシンボル花「つつじ」の制定を契機に、平成19年には、かって釜穴川の右岸に形成したツツジから挿し木をして健康広場の開水路寄りに挿し木が育てて移植した。平成21年ごろのつつじの状況、現在は大きなつつじとなっている。 》

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《 神原町の原野に生息した昔からの山つつじ、この元木から挿し木を採集した。 》

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《 元木から採集したヤマツツジの挿し木、この先端の一部をポットに挿し木した。 》  

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《 ポットで挿し木から育てたヤマツツジを一年後に畑に移植し、根がしっかり春まで育てた。 》  

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《 移植のため栽培場所から移植場所へ移動した。根がよく張っていた。》f:id:y_hamada:20170620091902j:plain

《 移植場所には一週間前から穴を掘り下準備をしておいた。》

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《 神原町に昔から生息したヤマツツジを挿し木で育て移植完了した。今後順調に成長することを期待している。いつの日が親になり、子・孫と神原のヤマツツジのDNAが引き継がれ発展することを願っている。》