87歳の雑感(268) 年賀状は自分の持続可能な開発目標の一つであり、元気の証である

 先日、1月28日中日新聞で、主筆小出宣昭氏が、「年賀状の周辺」と題して、年賀状を取りやめますとの知らせがめっきり増えたことに関して、別揭のごとく、その思いを語っておられた。

 私の場合も、近年、年を追うごとに、本人訃報のほか、「高齢のため、今回限りで年賀状をやめさせていただきます」との最後の年賀状が増えできた。自衛隊現役時代の上官、同僚、友人知人は、ほぼ同年代である。

 その都度、パソコンで「年賀状名簿」を整理しているが、「年賀状名簿」から削除し、「物故者」「年賀状辞退」へ移動する数が増えている。

 パソコンに入力しながら、その都度、本人との思い出や往時を偲び、「ご冥福を祈ります」「お元気でね』「お世話になりました、ありがとうございました」とつぶやきながら、最後の挨拶をしている。みんな歳をとって、後期高齢者組、超長寿となって来たのだから自然の成り行きでもある。

 年賀状に対する考え方や思いは人それぞれであって良いではなかろうか。ただ、年賀状についての自分の考えは、自衛隊退官以来、終始一貫して変わらず、最後まで貫き通したいと思っている。

 生まれてから今日まで元気に充実した人生を過ごすことができたのは、子供時代、青年時代、壮年時代、熟年時代、その時々に、親兄弟、家族、親戚、恩師、幼友達、級友、同期、上司・同僚・部下、地域の人々に支えられてきたお蔭であると考えている。

 お世話になった方々に、新年の賀詞と共に、深い感謝の念とご健勝を祈っての思いをこめて、写真と近況を付記して差し出すことにしている。パソコンで全部を処理することにしているが、思いはいつも変わらない。元気でいるうちは、何とか持続したい考えている。

 今風をもじって言えば、自分の持続可能な開発目標の一つとして、「毎年、年賀状を出す」を堅持することにしている。「人生最後まで元気でいる」ことが願望であり、目標である。年賀状は元気の証と言えるのではなかろうか。

令和5年1月28日 中日新聞で、主筆小出宣昭氏「年賀状の周辺」