山門の人生の教示  片方が相手にしなければ喧嘩にならない 

 今朝は、午前11時ごろから雨が降ることが予報されたので,早朝に浜松市西区神ケ谷町の天龍山洞雲寺に墓参りをした。

 山門入り口の掲示は、「片方が相手をしなければ喧嘩にならない」であった。

 端的に言えば,喧嘩は相手があって成り立つものであるから,喧嘩になりそうな時は,素早く相手にするのを止めることに尽きる。喧嘩になりそうだと思った時は,キッパリと相手から離れることも生活の知恵のようなものである。

 本格的な喧嘩に発展するきっかけは,興奮して,「売り言葉に買い言葉」の連発で思わぬ方向に拡大するものである。

 子供の時の喧嘩は,そのば限りで終わるが,歳を重ねるにつれて,他人との喧嘩は人間関係の悪化、破綻につながっていくものである。究極は恨み,つらみ、遺恨へと、口だけの喧嘩が暴力、傷害へと発展することがある。

 喧嘩はお互いの個性とのぶつかり合いではなかろうか。個性は物の見方、考え方、価値観、性格,行動志向の違いからくるものと言える。

 家庭,夫婦・親子・兄弟姉妹から集団の活動、地域社会における生活と諸活動において、少なからず喧嘩の類は日常的に生じることがある。

 子供の時代は,友達同士で喧嘩したりして社会生活のしきたりや修復、和解の方法を自然に学んでいくものである。

 昔から「夫婦の喧嘩は犬も食わぬ」という言葉がある。多くは直ぐに仲直りをするから仲裁など必要としない。

 社会生活を楽しく過ごす秘訣は、誠実・謙虚と礼節にあるように思う。喧嘩をしない方が良いが,相手が喧嘩をふっかけたり、喧嘩になりそうな気配になれば,状況を察知して、自分の方から避ける。喧嘩になってしまったら,先方より先に謝るうにしたら人間関係は修復するものである。

 喧嘩をして得るものは少ない。何よりも,「片方が相手にしなければ喧嘩にならない」は至言ではなかろうか。

山門の人生の教示  片方が相手にしなければ喧嘩にならない