元自衛官の時想(141) 1.17阪神・淡路大震災の教訓を未来に継承しよう

 昨日1月17日は、平成7年(1995)1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生した日であった。6434人が犠牲者となった大震災発生から27年となった。

 阪神淡路大震災のことは、今も鮮明に記憶は残っている。当時、自動車保険料算定会(現保険料率算定機構)浜松調査事務所に勤務していたが、神戸等の調査事務所が甚大な被害を受けた。直ちに本部は、被災状況の確認と被災を受けた調査事務所の損害調査業務を、他の調査事務所で引き受けて、損害保険調査の円滑な運営を図ったものである。

 どの組織も同じであるが,阪神淡路大震災から学び取った教訓・反省事項は多かった。全国の調査事務所も速やかに書庫の固定処置や非常時の業務処理体制などの改善を行なったものである。

 自衛隊OBとしは、被災地の一刻も早い人命救護に関し、自衛隊の迅速な出動対処に忸怩たるものがあった。部隊は大地震発生後直ちに、出動待機するも出動要請が遅れて、止まらざるを得ない状況であった。

 当時の自衛隊災害派遣出動と活動状況については、多くのメディアの報道記事や映像記録、報告・著書が残されており、何が問題であったのかなど、その実態は明らかにされている。

 この1.17の大震災を契機に、自衛隊に対する国民の理解と協力の意識が大きく変わった。法制面は元より都道府県等地方自治体と自衛隊との平素からの連携・調整・訓練、指揮官会同や元自衛官の防災対処要員の採用と活用などめざましい改善が行われるようになった。

 これに並行して、自衛隊の出動要領、出動部隊の編成装備、支援体制など逐次改善充実された。

 市民の生命財産を守らなければならない自治体の長の中には、自分の主義主張の立場から全て自衛隊お断りをしたり、制服の自衛官が市役所など自治体を訪問することさえ反対された時代を知るだけに、当たり前のことが当たり前にできるようになり、次第にまともな時代となってきた。

 時あたかも、阪神淡路大震災の発生時の政権は村山富市社会党内閣であった。自然災害は党派を選ばない。これを境に国家防衛、大災害と自衛隊に対する国民の意識と期待が高まり、「潮目が変わった」ことを強く記憶している。

 今日27年の歳月が経過すると、若い人たちには、阪神淡路大震災は過去の出来事として受け止められ、教訓・反省事項も薄れて来るのはなかろうかと危惧するものである。

 わが国は地震・火山国である。今後も地震津波は日本列島に発生したり、押し寄せて来るであろう。過去の災害から学んだ教訓を風化させずに、未来に継承しなければならない。

 1月17日付の産經新聞は、主張で「1.17と津波」と題して「教訓を未来に継承しよう」と呼びかけた。全く同感である。