85歳老いる雑感( 182) 毎日半歩ずつでも時間をかけて歩く姿に感動

 先日、佐鳴湖公園を散歩していたら久しぶりに知人に出会った。若い時代からマラソンの選手で5.6年前まではよくジョギングしているのを見かけたものである。

 それが今や、老人特有の半歩ずつこぎざみにゆっくりとチョコチョコと歩いているではないか。時間はかかるであろうが、誰の力も借りず杖もつかず、一生懸命前進しているではないか。雄々しい人間の生き様を目撃した思いがした。

 高齢期になると何が起きるかわからないものだ。数年の間見なかったうちに病魔に襲われ後遺障害であろうか歩行が困難となっていた。

 しかし、これに負けず、雨の日を除いて、ほぼ毎日午前、バスで佐鳴湖にやってきて、一定の距離を往復しているとのことであった。

 今日の状況になるまでには、曰く言い難い苦難を経験し厳しい回復訓練によって乗り越えたと推察される。強固な意志と忍耐力があってのことであろう。「俺はどんなことがあっても生きていくぞ」との意気込みと行動が伝わり感動した。

 彼曰く、この公園にやってきて、歩くこと、仲間と語り合うことが楽しみで毎日の日課であると明るく語ってくれた。体は不自由であるが、頭の方はしっかりしている。

 そこには自分に合った運動を行う活動力、仲間と語り合う付き合う社会性を発揮して実行している。後期高齢者が陥りやすい事柄や切に求められるものをしっかりと実践している姿があった。多くを語らずとも教示を受けるものがあった。

 湖畔から聞こえてきた小鳥の囀りを聞いてカメラを構えて熱中しているうちに、半歩ずつ刻んで黙々と歩く彼の後ろ姿は遠くなっていた。

 自らの力でできることはやる。毎日半歩ずつでも時間をかけてやり遂げる雄々しい姿がそこにあった。