山門の人生の教示  悪事を己に向かえ 好事を他人に与え 己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり

 令和3年(2021)元日は午前、天龍山洞雲寺に檀信徒として、新年を迎えて御本尊に拝礼、住職に挨拶した。

 山門の掲示は、「悪事を己に向かえ、好事を他人に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」とあった。

 宗教の学問的なことには詳しくないので、ネットなどで調べると、日本の天台宗の開祖・伝教大師最澄(767〜822の「山家学生式」に述べられている言葉であった。

 この中で、「一隅を照らす」は、現職時代によく目にし聞いた言葉であり、出典はここにあったのかと親しく感じた。また、現職時代歩んだ自衛隊における指揮官道・象や修練の目標などは、表現の違いはあれど、「国家・国民のために尽くす」「生命をかけて任務を遂行する」「指揮官陣頭、率先垂範」など、その本質は山家学生式の中にもあるとを知り、まさにここにもあったかと共感するものがある。

 反復して熟読吟味してみると、難しい言葉で表現されているが、私達が日常的に使っている言葉に置き換えると、宗祖の言わんとしていることに近づくように思われる。

 私は、宗教は人の生きる道を説いたものであり、修験を極めた人だけのものではなく、宗門に関係なく、市井の一般の人々が理解し、日常的に実践できることが大事であると考えています。

❶ 「悪事は己に向かえ、好事を他人に与え」は、悪いことは自分が背負い、良いことや功績は他人・当事者に与えることではないかと解する。

 特に、組織の大小を問わず、組織のトップ、責任者となった時は、すべての責任を背負い、功績は組織員・当事者に与えることが人の道である。

 古来、社会生活において、最も人間性と真価が現れる時は、最悪の事態や失敗の時である。こうしたとき、その人物の評価が問われる。最高責任者が部下のせいにして、逃げ回ったり、言い訳をする見苦しい姿はよく見かけることである。

 平時においては、好・功・幸は部下に与え、悪・罰、責任は上司が背負う規律が確立された社会集団は活力があり、隆盛となるものである。個人、家族においても同じではなかろうか。

❷ 「己を忘れて、他を利するは慈悲の極みなり」は、物事を処するにあたっては、損得などだけで判断せず、自分を忘れて、他人の立場になって、その人の幸せを願いながら行動する、やさしさ、思いやる心を勧めたものと解する。

 現代の社会は、誤れる個人主義や実利主義の傾向が強くなってきた。「滅私奉公」などという言葉は使われなくなったが、「社会貢献」、「ボランティア活動」が尊ばれるようになった。

 この真髄は、自分を中心ではなく、社会・他人のために尽力するということにある。言うなれば慈悲の心でもある。

 日常的には、社会貢献、地域貢献など目立たないが、多くの人が毎日の生活の中でその役割を果たしているものである。

 ボランティアも然りである。特に、体の不自由な方や高齢者への協力支援などは、己を忘れて他を利するは行為ではなかろうか。

 言うは易く行いは難しで、実践することは難しいが、結構多くの方が実行しておられる。3.11の東日本大震災などにおいて、献身的なボランティア活動が報じられた。

 こうしてみると、山門の人生の教示のように歩みたいと志しているが、教えのようにいかないのが人間である。私もその一人であるが、落胆したり、ひえすることはない。できる時とできない時があるものだ。できるときにやり遂げ、努力すれば良いからだ。

1   山門の人生の教示

  悪事を己に向かえ 好事を他人に与え 己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり

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浜松市西区神ヶ谷町 天龍山洞雲寺

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2   山家学生式(さんげがくしょうしき)

  高校日本史用語事典   出典

 最澄が著した天台宗の修行規定。
天台法華宗年分学生式」(六条式)、「勧奨天台宗年分学生式」(八条式)、「天台法華宗年分度者回小向大式」(四条式)のことをいう。
818年から819年にかけて書かれ、嵯峨天皇へ上奏した。
山家は天台宗のことで、天台宗の年分学生の修業について定め、比叡山延暦寺に大乗戒壇を設置することを求めた。

 

3  山家学生式(さんげがくしょうしき)全文

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