山門の人生の教示 人は生まれによって貴からず、そのはたらきによって貴し

 9月1日は、菩提寺天龍山洞雲寺に詣でてお墓参りをしてきました。日中は日差しが強いが、日を追って朝晩は涼しくなってきたようです。早朝の墓参りは人影もなく、静寂の中、小鳥の囀りがこだまし、秋の気配を感じました。

 山門入口の掲示は、「人は生まれによって貴からず、そのはたらきによって貴し」とありました。

 人は生まれによって貴からず、その後、社会人として、人生を重ねるにつれて人格を高め識見を磨き実力を身につけてその働きによって社会にどのように貢献するかによってその真価が決まってくるものではなかろうかと思います。

 人は生まれた時は、等しく裸で生まれてきます。昔から「身体髪膚父母に受く」で、両親のDNAを引き継ぐが、生まれによって、貴賎の差があるわけではありません。

 誕生から成育の過程において、先祖や親の財産・経済状況、血筋・血統、親戚縁者、社会的地位及び資質能力などによって、しつけ、教育や社会的活動の機会が異なつてくることは否めない事実であります。

 よく親の七光りと言われるごとく、恵まれた環境にある人もいますが、これとてその環境を生かすかどうかは本人の精進にかかっています。

 また、これらは先祖や親が資産家であったり、社会的地位の高い立派な方であっても、偉いのはその人そのものであり、子孫や子供ではないことも事実であります。

 人は自分の出生をどうすることもできないものですが、その後の人生とは摩訶不思議なものです。自らの力で人生を切り開くことができるからです。人生とはそのようなものではないでしょうか。

 物心ついた頃から、自分の意思で、身体を鍛え、勉学に励み、人格識見を磨き、長じて社会人・職業人として、各種の社会活動を通じて社会へ貢献することができます。その度合いによって評価が決まってくるように思います。

 人の世は、個々の人生を見ると、総じて波乱万丈と言えます。いろいろな困難に直面した時、どのように立ち向かうかによってその結果はかなり様相が変わって参ります。ためらわず、真正面から真摯に物事に取り組めば、道は開けてくるのでなないでしょうか。この真剣な対処が「そのはたらきによって貴し」と言えます。

 人生の終盤を迎えて省みるに、人それぞれ生きてきた道が異なります。最後は他人の評価より、自分が自分の人生に対する達成感、充実感、満足感、幸福感をどの程度持てたかにあるように思います。まさに「自分の心」にあるのではないでしょうか。

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浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺山門の掲示