わが神久呂 ビニールハウス群を散歩しながら三方原台地の開拓史の一端に触れる

 朝夕の散歩は、自宅を中心に出かけることになるので、三方原台地が舞台となる。東西南北どちらの方向に行っても、そこには三方原用水が身体の血管のように張り巡らされている。

 三方原台地の歴史を探ると、不毛の大地から肥沃な大地として農産物を育み生産供給する主要な農村地帯となっていった歴史に触れる。戦後食糧増産のため、国家的プロゼクトとして大規模な土地改良事業が行われ、農業用水が毛細血管のようにくまなく田畑に届くようになった。

 散歩をしていると、各地区で三方原用水の機場の側に大規模土地改良事業の記念碑が建立されているのに出会う。

 わが国の高度成長の発展とともにお金が儲からない自然相手の小規模農業は廃れ、休耕地が多くなったが、現在は露地の農業栽培からビニールハウスへ転換し、大量栽培、大規模事業化が進んでいる。

 古来、植物を育て収穫する農業は豊富な水があって成り立つものである。露地を中心とした農業において、季節を問わず必要にして大量の水を補給してくれた三方原用水がいかに農業にとって恩恵をもたらしたかは想像に難くない。

 神久呂地区に於いても、近時、従前にまして、休耕地にビニールハウスが立ち並ぶようになった。わが家の側にも骨格のしっかりとした大型の立派なビニールハウスが建設された。農業の事業化である。機械化した季節にとらわれない作物の大量の生産事業である。

 この大型事業化に必要不可欠なものは、大量の水であり、三方原用水の果たす役割は絶大なものがあるように思う。時代の進展とともに大量にして多種の食糧の生産は、私たちの豊かな食生活に欠かせない産業である。

 そうした思いで、ハウス群や町内の三方原用水工事を眺めながら散歩をすると色々な新しい発見がある。先人たちの苦労や開拓史の一端を垣間見ることもできる。車の交通量も少なく、あちらの方向、こちらの方向と気分に任せて選択するのが楽しみである。また、往復で1〜2時間かかり結構な散歩となる。

 インタ-ネットで調べてみたら、「三方原台地の開拓と農業水利 <三方原用水>」「三方原用水二期農業水利事業所」について、次のような紹介があった。とても分かりやすい内容である。

 ❶  三方原台地の開拓と農業水利 <三方原用水>

🔹 技術史を語り続ける農業水利遺構:関東支部
三方原台地の開拓と農業水利 <三方原用水>  (出典)
    昭和29年に「天竜東三河特定地域 総合開発計画」が決定され,その一環として農業用 水・工業用水・上水道用水を開発する三方原用水事業 が昭和35年から着工された。 国営三方原用水事業により,昭和43年に三方原へ の農業用水の初通水を行ったが,これは明治32年の 金原明善による「天竜川分水路開削計画」,つまり天 竜川から分水して三方原台地を灌漑する案を現代版に したものである。 天竜川の水を秋葉ダムから三方原台地に導水するこ の事業の完成により,「圃場整備,畑地灌漑,農道」等 の各種の農業基盤整備が急速に進展したことにより, 三方原の地域農業は一変し,多種多様な農産物が生産 され,農業粗生産額は常に全国でも上位にランクさ れ,地域社会に貢献しながら発展をとげている。

🔹 ビニールハウス群を散歩しながら三方原台地の開拓史に触れる

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❷ 現在進められている三方原用水二期農業水利事業

    神原町内でも昨年から大規模な三方原用水二期農業水利事業が行われている。自治会長当時に「神原町50年の歩み」を編集・執筆したおり、わが町の骨幹をなした圃場の換地による土地の区画整理、開水路の設置等大規模な三方原用水事業の実績経過をまとめたことを思い出した。

🔹 神原町50年の歩み 圃(ほ)場整備事業 (出典)

◆ 神原町の基盤を作った圃(ほ)場整備事業
    昭和45年春、神久呂の里に、県営圃(ほ)場整備事業が始まった。井嶋隆司氏は、「この圃場整備で今日の神原町の基盤が築かれた」と語っておられる。
事業の主要点は、①圃場の換地により区画整理が行われ、道路や水路が改良整備された。②畑地のかんがい施設が完備した。③排水路が整備されたことである。
今日の神原の町の骨格はこのとき築かれた。住民の念願だった雨溜地域の排水の解消など神久呂地区の用水の供給と圃場整備は農村の近代化に寄与した大事業であった。
 * 圃(ほ) は、はたけをいう。
◆ 第4分区(神原町・神ヶ谷町の一部)の事業概要
  全体の県営大規模圃場整備事業は、昭和45年からはじまり昭和51年に完成した。
神原地区は、第11工区第4分区であり、第11工区長に青野坪三氏、第4分区長に池谷武氏が就任した。その後、池谷武氏死去により井嶋睦次氏に代わった。

第4分区の概要は次のとおりである。
設  立 昭和45年10月20日
地  域 神原町、神ヶ谷町一部
総 面 積 81.64へクタ-ル 
組 合 員 195名
工事期間 昭和45年10月~昭和47年3月
換地登記 昭和52年5月20日完了  
事業費 160,000,000円
注:工事負担金13.75% 総面積10.63%
総面積換地率 89.37%

◆ 県営圃(ほ)場整備事業記念碑
県営圃(ほ)場整備事業の歴史を刻む記念碑は、町の発展を見守っている。(省略)

🔹 三方原用水二期農業水利事業所 (出典)
三方原台地の開拓は、先人達による「台地開拓への挑戦」であり、農業用水の安定供給が悲願でありました。
昭和35年度から始まった国営三方原用水事業(前歴事業)では、秋葉ダムから取水し、1.農業用水、2.水道用水、3.工業用水を供給する総合的な開発を実施しました。この結果、三方原の台地は、“不毛”と呼ばれ続けた土地から、様々な農産物を生産する“豊穣”の地へと劇的な変化を遂げます。
 そして事業の完了から45年以上が経過―。一期事業は「農業用水の確保」を最優先に考えて行われましたが、今回の二期事業においては、調整池の新設と遠方制御システムを導入し、高度な用水管理による計画的な作物栽培によって、浜松農業のさらなる飛躍を目指していきます。
🔹 現在進められている三方原用水二期農業水利事業(神原町内)

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🔹 現在進められている三方原用水二期農業水利事業(西山町内の調整池)

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