花の出会いと感想記(12) 子どもたちに喜ばれた昔懐かしい田園の「レンゲ畑」

 ここのところ数年、田んぼの連なる田園風景の一つにレンゲ畑を見かけることが少なかった。ところが、今朝用事で車を走らせていたら広範囲の田んぼ一面ににレンゲを咲かせ、トラクターでレンゲを打ち込んでいるのに出会った。今日は何の因果か二か所でレンゲ畑を眺めることになった。

1   子供の頃の田んぼでのレンゲの思い出

 中学生の頃、鳥取県の中部に位置する羽合町(現湯梨浜町)の羽合中学に通学した時、宇野から橋津・浅津・長瀬へ行くと、田んぼには春になるとレンゲの花がいっぱい咲き、学校の帰り道ではレンゲに導かれて、友達と遊び、疲れたら大の字になっつて、寝転ろび大空を眺めたりしたものである。

 誰にも叱られることもなく、子供の遊びとして許されたものであった。そのレンゲも時期が過ぎるころになると、牛が田んぼをすいて、レンゲは田んぼの肥やしになっていった。

 こうしたことから、レンゲは眺めるのではなく、「遊び戯れるレンゲ畑」に出会った思い出が強い。

2  「 レンゲ畑に子供を遊ばせたい」熱い思いを実現した

 自衛隊定年退官後、縁あって浜松に終の棲家を設け、自治会長にも推挙され就任した。会長就任とともに、「まちづくり」を提唱し、平成19年3月、神原町自治会定期総会で神原町誕生50周年を迎えるにあたり将来に向かって長期的視野に立った「町づくり」の基盤を確立したいとの町民の総意により「神原町まちづくり構想」を策定した。その一つとして「花と緑の町づくり」を始めた。これにより初年度自治会中心の「神原町花の会(花美原会)」を立ち上げた後、第2年目からは町民有志による団体へと改組し、花いっぱい活動を継続実施し、十年間代表を務めることになった。

 神原町の花畑は、創設当時今の花畑の5倍である7.500㎡と広大な面積であったことから、そのうちの2面2.000㎡を利用してレンゲ畑を再現することにした。

 その思いは、昔どこにでもあった田舎のレンゲ畑を再現し、地域の子供達に思いきり戯れてもらおうとの構想であった。

 第1回目は、レンゲの種を撒いたが、仏の座が繁茂して苦労した。同じ色合いの雑草の仏の座の方に負けたのであった。

 その苦い経験から、次の年、平成22年及び23年は教訓を生かして研究した結果、どこにも負けないレンゲ畑を作り上げたることができた。

 地域の放課後児童会の子供たちを中心にレンゲ畑で思い切り遊ぶことを呼びかけた。子どもたちは、歓喜して走り回り、寝転び、自由に花を摘み大好評であった。地域の話題として地方新聞など取り上げられたものである。

 そこに至るには、花いっぱい活動を始めた時、子供のころのほのかなレンゲ畑の経験を思い出し、いつの日か実現したいと温めてきたものであった。多くの会員の皆様の理解と協力によって実行することができたのである。

 この遠州の地に永住し、十年間にわたって、花と緑いっぱい活動を通じて、長年の夢を実現がきたことは花活動の中で強く印象に残り良き思い出となった。

 花活動を初めて、5年目を境に、会員の高齢化に伴い、7.500㎡の広大な花畑を維持することは困難であることから、安定した継続活動を重視し、現在の1.500㎡に縮小するに至った。厳しくも断腸の思いで決断した。

 こうしたことから、レンゲ畑を見ると、こどものころと花活動で子供達に喜んでもらった思い出と重なり感慨無量であった。

1    神原町花の会のレンゲ畑     

平成22(2010)年4月

 

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平成23(2011)年4月

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《 子供たちは、歓喜して走り回り、寝転び、自由に花を摘み大好評であった。今から10年前のことである。当時の子供たちはほんの少しの体験をどう思っているであろうか。》

2     地域のレンゲ畑  令和2年4月17日撮影

 神ケ谷町のレンゲ畑 

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 ❷ 県道細江舞坂線 大人見町・佐浜町

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《 レンゲの田園風景は今も昔も変わりないが、子供のころの牛を使ってのレンゲの打ち込みと違って、トラックタ-でレンゲを打ち込む様子、70年余の歳月の移り変わりを感じた。》