先日、膀胱がんの再発がないかどうか、尿の精密検査を行った。
平成24(2012)年左腎盂がんと診断され、左腎尿管全摘除術を受け、さらには、平成25( 2013 )年10月膀胱腫瘍手術を受けた。ついで、BCG膀胱内注入療法を行なった。
以来、定期的に内視鏡等の諸検査、診察を受けたが、次第に諸検査の間隔が伸びて、今回から尿検査のみとなった。検査結果は異常なく、次回は6ケ月後の10月となった。
長い道のりであったが、7年近く経つと全くがんから離れたという感じである。しかし、日常生活においては、排尿のたびに尿の色を確認することにしている。
平成24年9月、突如として血尿が出て便器の中を真っ赤に染めたときの驚きは今も鮮明に覚えている。全く予期しておらず、まさに青天の霹靂であった。それも1回だけであった。身体が異変を教えてくれたのである。
その後、実際は少しは血が混じり色が変わっていたと考えられるが、その差があまりにもありすぎたので気づかなかったかもしれない。
医学の進歩と医療体制の充実によって、こうして高齢となっても生きながらえることができたことに感謝している。
人間の生活の基盤は健康にある。長い人生においては大抵の人が大小を問わず何らかの病気と闘うことになる。人生と健康は不離一体の関係にあるのではなかろうか。
青年期、壮年期は健康は当たり前であまり自分の健康を問いかけることはなかったが、80歳代の半ばに差し掛かって省みるとき、健康というものがいかにわが人生を左右するものであるかを知る。有意義に35年余にわたって国家防衛の任務を全うできたものその一つではなかろうか。
子供の頃の小学校、中学校、高校、さらには自衛隊時代の同期生、先輩や地域の知人の同年代の訃報、消息を聞くたびに、健康と寿命、運命・天命といったことに思いを馳せることがある。
これから百歳まで生きても15年、残された人生はあとわずかとなってきた。しっかりと自分で考え、自分の意志と体力・気力で、自分を律することができる歳月はさらには短くなる。ほんのわずかな期間しかないであろう。これが現実の姿である。
「悔いなき人生」とはよく言ったものだ。がんと闘い生き延びたとき決意をしたことがある。それは「生かされた生命」を大切にして、やりたいこと、やれることはやり遂げよう、毎日を明るく過ごそうと心がけてきた。
元気で身体が動くうちにやれることはやっておこうと、今も地域におけるシニアクラブの活動等自分に与えられ役割を精一杯果たすよう努めている。役割を与えられ果たさせてもらえることは、本当にありがたいことである。
これは人のためではなく、全く自分のために、自らの心に応えるためのものであるからである。これが私の描く「悔いなき人生」につながっていけたら幸いである。
また、人間には自らの体力気力でしっかりと活動できる終期というものがある。これは自分で分かるものであり、自分で判断を下すべきと考えている。世に言う出処進退であり常に心していたい。