昭和の航空自衛隊の思い出( 440 )  「幹部学校記事」と「鵬友」に感謝して破棄処分(1)

 退官30年にして、在職当時に購読していた大量の部内誌の破棄処分に着手した。家族には万が一の時は、絶対にそのままごみとして出さないで必ず破棄するよう厳命していた。自衛隊在隊間に関わる物はいっさい、日頃からまかり間違っても絶対にごみとして処理するなと家族に申し渡していた。

    特別に秘密事項が掲載されていたわけではないが、他に迷惑をかけず、自分のことは自分で処理しておきたいとの思いが強かった。自分の手で逐次直接に処理することができて一安心した。「幹部学校記事」「朋友」もその一つである。

    「幹部学校記事」は、幹部学校の沿革によると、有沼源一郎校長時代の昭和35(1960)年6月10日第1巻第1号が発行された。刊行の目的は、「幹部学校における研究成果並びに部内外の軍事研究論文等を紹介し、幹部自衛官研さんの資とする」とし、最初は季刊であったが、隔月発行となった。

 購読に至った経緯等は、はるか56年前に遡ることになる。昭和35(1960)年2月部内幹部候補生選抜試験に合格し、幹部候補生学校の課程を卒業し、見習幹部勤務を経て、36(1961)年2月3等空尉官に任命された。職種は希望通り要撃管制に指定され、要撃管制英語及び術科幹部課程を卒業し、同年 9月晴れて初任地は千葉県の房総半島の南端にある峰岡山・第44警戒群監視管制隊に勤務した。

 最初は日勤で実地の要撃管制訓練に励み、実任務に就ける0Rの資格を取得した。その後は監視管制隊の小隊に属し、24時間の交代制勤務についた。初級幹部として何とか一人前になって、多少とも精神的な余裕ができたのか、航空自衛隊幹部学校幹部会が発行する季刊の「航空自衛隊幹部学校記事」を購読するようになった。

 初購読は、昭和38(1963)年3月・5巻第4号であった。5巻ということは創刊の昭和33(1958)年から5年目である。

 幹部学校記事は、新しい時代の進展に伴い、昭和50年度から発刊の趣旨及び誌名が変更された。航空自衛隊の発展と購読者の増大に伴い、当初の幹部学校と部隊等の幹部をつなぐ「パイプ」となるという性格から、航空自衛隊幹部全体の研さんと相互啓発に資するという役割が主となるべき趨勢にあったこと、部隊等からもこのような線に沿った発行を希望する声が聞かれるようになった。その間の状況は、幹部学校記事「創立20周年記念特集号」に記されている。

 上記の新しい事態に対処するため、発刊の趣旨を「航空自衛隊幹部の識能の向上に資するため、広く内外の軍事研究論文を紹介するとともに、相互啓発の場とする」に改められた。また、誌名も親しみやすい「朋友」として、新年度から装いも新たに発足することになつた。

1   幹部学校記事と鵬友についての所感

❶   愛着があった部内誌と購読のきっかけ

   人生の主活動期であった航空自衛隊勤務と生活において、幹部学校記事及び鵬友が自己啓発に大いに役立ったと思っている。したがって、在隊間はもとより、退官30年間大切に保存してきた。他人には紙くず同然のものであっても、自分を育ててくれたとの思いと感謝のいろいろなものがあって断捨て難い強い愛着があったのである。また後輩たちの中で欲しい人があればあげたいと思ってきた。

    「幹部学校記事」によると、創刊当初は購読者は約800名、5年目の昭和38(1958)年ごろの読者数が約2,000名とあり、当時勤務していた第44警戒群はADDCサイトとして要撃管制幹部を中心に幹部が多数いる中で、購読者15名の一人であった。当サイトは各職種で新進気鋭の幹部が揃っており、後年の航空自衛隊を担う幹部が輩出していった。昭和50年3月には約4,500名と記録されている。

    どんな事情で購読するようになったか定かでないが、かすかな記憶によると、昭和36年ごろ整備学校で2等空曹で部内幹候を受験する頃、一緒に勤務していた同年配の松下泰男事務官が手にしていたのを見て触発されたように覚えている。

    幹部候補生の課程と術科教育を終えて、第一線部隊で実勤務につき、安定した頃にようやく購読者となり愛読者となっていったようだ。当時の第44警戒群には若手の優秀な幹部が多数いたことから強い刺激を受けたようにも思える。松下泰男君は向学・向上心が旺盛で後年上級事務官として栄進した。

自己啓発と充実した自衛隊勤務・生活
    幹部学校記事は、若い頃から熱心な読者の一人であった。なんでも吸収してやろうと向上心と探究心が旺盛であったせいか、内外の軍事に関する論文や関連著書のほか、他分野の資料収集も行い、自己研さんの資としたものであった。

   こうしたことが幹部自衛官として自衛隊勤務と生活を充実、楽しくさせてくれたものであった。その分書籍類が増えて、転勤のたびに、重い荷物が多数となり、お手伝いのみなさんに大変お世話になった。

若手幹部に推奨し課題研究に参加

    後年、警戒管制団司令部人事部長になった時は、教育訓練も担当したので、自分の経験からも、隷下部隊の初級幹部に対して幅広い視野を拡大するため、鵬友のケーススタデイなど課題研究に積極的に応募を推奨するなどして資質能力の向上を図ったことがあった。

  時代を超えた優れた論文等の掲載

    今回、破棄の都度中身を確認したが当時空自で活躍された方々の論文も多く、タイトルと筆者を見て懐かしく感じた。破棄処分は同時代と決別する感じであった。  

   特に若い時代に優秀論文で傑出した人たちは、最後は将官として活躍された方も多く皆さんとは交流があっただけに一層懐かしく思った。

    隊員指導に関するものは、ただ拝読するだけではなく、これは使えそうだと思った事項は、現場で実際に活用する実践方式を取り入れ、試行してみたものである。さらに自分のアイディアを加味して実行して成果をあげたこともあった。

❺  紙質からみた昭和と平成の差

    同じダンボールに保管したが、平成の時代は格段に紙の質が向上したことに驚いた。昭和時代のものは紙質が落ちて、全体的に経年劣化し変色してきたことである。紙製造技術の進歩と時代を反映したものといえる。

   破棄作業で、解体するのにホッチキスが使われたものは、これを取り外すのに苦労したが、平成に入ってからは糊付けに変わっており楽になったことである。製本技術の進歩向上を実感した。

2   幹部研さん誌  

❶ 初購読「幹部学校記事」

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 初号の鵬友・第1巻1号

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➌    最後の購読「鵬友」・第15巻第6号

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《 「ありがとう」の感謝を込めて記録にとどめることにした。》