昭和の航空自衛隊の思い出(398) 昭和63年度准空尉・空曹及び空士充員計画と部隊等人事担当者(1)

1.最初にして最後の空幕勤務と人事担当としての集大成の時期

    自衛官人生の終盤になって、最初にして最後の 航空幕僚監部人事課勤務を昭和60年(1985)8月〜63年(1988)7月までの3年間勤務した。人事担当としての最後の集大成の時期であった。 

 空幕人事課においては、人事第2班に配置され、班員として1年5月総括業務を担当した。その後、61年(1986)12月、空幕人事課人事第2班長に補職され、62(1987)年7月1佐昇任、63年(1988)6月末まで務めた。

   空幕人事課人事第2班は、班長以下8名の陣容で、航空自衛隊全般の准空尉・空曹及び空士約3万7千名の人事に関わる施策、充員・異動・昇任・昇給等の業務を担当し

た。

    その中でも、とりわけ、人事第2班長として、自衛官生活の終盤において、空自全般の立場で、部隊等の人的戦力の骨幹を形成する「年度准空尉・空曹及び空士充員計画」の作成と実行を統括する職責を与えられたことは念願の職務であり無上の喜びであった。 

 班長職の最終に取り組んだ、「平成63年度准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習」は、昭和63年2月23日~2月28日、那覇基地で実施した。次いで、「平成63年度准空尉・空曹及び空士人事担当幹部集合教育」は、昭和63年5月19日、入間基地で実施した。この二つは人事第2班が准空尉・空曹及び空士に関する人事施策及び運用の中枢としての機能を発揮する部面であり強く印象に残っている。

 そこには、部隊等及び各級司令部では解決できなかった懸案の諸問題に対して、空幕の立場で進路を設定できたこと、人事幕僚として長年胸に秘めた策案などが取り入れられるようになったこと、空幕勤務となった使命・自己の役割をそれなりに存分に発揮する機会を与えられたことにに対する感謝の気持が強かったからであった。

 その基盤となったものは、有能な部下班員と全国の部隊等の准空尉・空曹及び空士人事を担当する幹部及び准空尉・空曹諸兄の積極的な協力があったからであった。 

 

2.准空尉・空曹及び空士充員計画の作成及実行と空幕人事第2班の機能発揮

 空幕人事第2班は、昭和60年末の所掌業務の見直し決定によって、懸案の航空自衛隊の准空尉・空曹及び空士充員計画の作成及実行の一本化が行われ、名実ともにその機能を発揮するようになった。

 昭和61年度から准空尉・空曹及び空士充員計画の作成担当となったことを契機として、人事第2班の主導のもとで、沖縄交流をはじめとする各種異動交流は、「充員計画業務講習」、准空尉・空曹及び空士人事全般については「人事担当幹部集合教育」を通じて人事第2班の位置づけ・役割は飛躍的に前進することができるようになった。

 人事課人事第1班(幹部自衛官人事)、人事第3班(事務官等人事)と同じようにあるべき姿となり、機能発揮するようになったのである。

昭和の航空自衛隊の思い出(336) 准尉・空曹及び空士充員計画に関する所見と提言

 

2016-08-22 昭和の航空自衛隊の思い出(337) 人事第2班の所掌業務の見直しと機能発揮

 

3.全国規模の画期的な異動交流調整方式と充員計画業務講習

 昭和62年度から准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習を、毎年2月1週間、那覇基地で実施することになった。全国の主要な部隊・機関の准曹士人事担当の幹部・空曹が参加する約70名の大人数の講習となった。

 人事第2班長が主導する講習であり、人事第2班が主役であった。本講習は、准空尉・空曹及び空士の人事全般に関する事項と充員計画にかかわる次年度の各種の異動交流のまとめであった。

 特に、多数の各種の異動交流を計画するにあたっては、事前に受け入れ先部隊等と差し出し先部隊等を丁寧且つ綿密に調整して立案作成することが必要であった。

 これらを強力に推進するため、全国の主要な部隊・機関の准曹士人事担当の幹部・空曹が一堂に会して、人事第2班主導による調整方式を取り入れた。これは人事第2班担当者が采配を振るって、全員参加、資料をもとに各種異動交流を一件ごと調整していく方式であった。

 この方式は極めて有効で、厳しい任務をやり遂げた異動候補者を次年度着実に希望基地などへ異動実現することができたこと。人事担当者相互の電話でのやりとりでは時間がかかり進まなかったことが顔を合わせながらのやりとりで調整が一気に進みまとめることができた。

   部隊の要望と実情が十分考慮された調整結果であることから無理のない異動交流計画に繋がり効率的かつ実現性の高いものとなったこと、次年度充員計画に盛られた異動交流計画は、円滑な異動交流が実行でき、計画を100パーセント達成できたことであった。

 さらに加えて、沖縄・離島サイト・硫黄島等に勤務する隊員が異動先のめどが立つことにより今後の生活設計等が可能になったこと、各級指揮官にとっても部下隊員の異動に関して積極的に関与し、指揮統率面に良い影響へ与えることができたことであった。

4.昭和63年当時の那覇基地及び南西航空混成団の状況

 充員計画業務講習の会場となった昭和62~63年当時の那覇基地について触れておきたい。 

 アルバムに貼られていた昭和63年当時の那覇基地パンフレットからの抜粋である。

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5. 平成63年度准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習 

❶ 准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習記念撮影

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《  平成63年度准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習、空幕人事課長小泉進将補を囲んで記念撮影・昭和63年2月23日~2月28日・那覇基地、全国主要部隊等の准曹士人事担当者が参集した。前列左から空幕人事第2班充員計画担当石田敏晴3佐・西空司人事班長毛利毅仁2佐・南混団人事部長永島脩一郎1佐・空幕人事課長小泉進将補・空幕人事第2班長濵田喜己1佐・南混団司人事班長首藤宇2佐・総隊司准曹士担当草野幸男3佐 》

❷ 准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習参加者 

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《 平成63年度准空尉・空曹及び空士充員計画業務講習に約70名が参加した。 》

❸ 各種異動交流調整風景

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《 各種異動交流調整状況、 ロの字型になって、空幕人事第2班充員計画担当石田敏晴3佐が主査した。この調整方式は画期的なもので異動交流が計画どおり円滑に実行された。》