浜ちゃん日記  久しぶりにお月さんを眺める

 曇り空であったので、午前4時間ばかり、夫婦で「ありがとう花壇」とその周辺の環境整備を行った。

 気温が上がり大汗をかいたが、その分水分も補給しました。午後はのんびりと休養して回復を図りました。

 夕方空を見上げると曇り空にお月様が眺められました。月齢を調べると、27日は上弦であったとのこと。

 梅雨空で空を見上げることが少なかったせいか、しばらく眺めることにしました。時折月に雲がかかりましたが、天空を眺める事はいいですね。

 昔から花鳥風月という四字熟語があります。花・鳥・風と共に月が登場します。植物、動物、自然、宇宙を愛でる心を表しています。美しい自然風景や、それを重んじる風流を意味することばですが、昔はお月見会などあっりましたが、最近は全く縁がなくなりました。それだけ歳を取ったということかもしれません

 一歩外に出ると、昼間はセミ、夜はカエルの猛烈な鳴き声が聞こえてきます。 

 7月28日20:40ごろの月

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神原町花の会(花美原会)(418) 散歩で花畑を訪れて草花に挨拶する習性

 昨日夕方雨が止んだので散歩を兼ねて花畑を訪れてみました。かって花の会の代表をした時は、雨の日も風の日も朝晩必ず花畑を訪れて草花に挨拶をし、状況を確認してきた習性であろうか。ついつい、かっての習慣で、散歩に出かけると勝手に足が花畑の方向に向ってしまいます。どうしてもそこを訪れないと落ち着かないので自然に訪れることになります。

 草花は人間と同じで生き物です。調子の良い時もあれば悪い時もあります。どんな体調かと心配になります。自分が心配したからと言ってどうこうなるものではありませんが、人間の情、しがらみというもでありましょうか。

 コスモス畑や花壇は水分を補給し成長も順調で、からりと晴れた梅雨明けと夏日が待たれます。

令和2年7月27日18:00過ぎ撮影  神原町花の会の管理する花畑

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浜ちゃん日記 天気が不安定だった4連休、体調を整えて乗り切りたい

 7月23日から26日まで、海の日、スポーツの日と続いたが、天候不順で屋外の作業ができませんでした。大雨警報が発令されたりで、時折強い風と共に猛烈な雨が降り続きました。

 したがって蒸し暑く快適とはいえない毎日でした。その上、コロナの再来襲、感染拡大の傾向は勢いを増しております。天候気象が災害はものより、いかに人間の生活を左右するかを痛感する日々であったように思います。

 間も無く梅雨も明けるであろうが、心身の調子を整えて、コロナに負けないように7月最終の今週を乗り切りたいものです。

神原町シニアクラブ( 神原会) (276) 再び新型コロナ対処における会長の責務と新活動方式の確実な実行

 7月25日夕マスコミは、新型コロナ感染者が、東京295人5日以上200人以上、全国で749人と報じました。若い世代の感染拡大増加が目立つとのことであります。

 浜松市は、新たな感染者30人と発表、市民の間で急激に緊張が高まっています。浜松市ではコロナ禍以来最高の感染者数となりました。いよいよコロナが間近に迫ってきたという感じです。

 ひるがえってみますと、流行病、伝染病は、太古の時代から人類のあらゆる面に影響を与えてきました。85年の生涯でいろいろなことを経験、見聞してきたが、今回の新型コロナウイルスは、他人事ではなく、自分の毎日の生活に直結するものとなったことは特記すべきことではないでしょうか。

 コロナ禍で世界中が苦難の時代に直面しています。わが国にとっても大東亜戦争終結後の苦難の時代に匹敵する出来事ではないかと思います。厳しい事態と認識する必要があります。

 今後、コロナが終息するまでは、新しい生活様式へ転換実践していかなければならない時代となりました。好むと好まざるに関わらず、新しい生活様式を中心に社会全体の運営体制は、従来の思考や延長上ではなく、コロナに対処できる、ものの考え方、発想に切り替える必要があります。

 これからは、政治経済から産業構造、社会生活や教育体制、働き方や日常の生活様式に至るまで何らかの改革を求められる時代となってきました。

 今まで想像もしなかった時代になってきたのではないでしょうか。その点では日本民族は順応性があるように思われます。総じてマスクや手洗い、三密(密閉・密集・密接)を避ける防止策に忠実に従い積極的に努めているように思います。

 昨夕も、SBS報道特集で「重症コロナから生還した医師語る後遺症」の番組を視聴しましたが、壮絶な状況とあまりにも未知のウイルスであることを再認識しました。

 最近の状況をみていると、本年4月か6月にかけての感染者数と死亡者数の増加による緊急事態宣言による日本全国の厳しかった緊張感は、解除後、次第に薄れてきたように思います。7月後半になって、再び感染の急激な拡大が全国的に見られるようになりました。

 浜松市においては、第1波の緊迫感より最近の方が高まっています。高齢者集団の責任者として、諸活動にあたっては、今まで以上にコロナ対処を中心とした新しい活動方式の実行を徹底することにしています。

 自分たちのシニアクラブからコロナ感染者を出さないという固い決意を新たにしました。諸活動の中核となる代表者の堅い決意と諸注意の確実な実行が必要不可欠です。みんなで決めた事を守っていない人が出た場合には、心を鬼にして断固として守ってもらうようにしています。それは会長の責務であるからです。

85歳老いる雑感(92) 人生の最後は好物の「ぼた餅」を食べさせてくれ

 80歳を過ぎてから、健康面で特に心がけている事はある体重増加の抑制と好物の甘いものを避けるようにしています。

 2ヶ月ごとに定期検診で、血液、尿検査のほか3回に1回は心電図、レントゲンが加わります。

 毎日朝晩に体重、血圧、脈拍を測っています。これはかかりつけ医から勧められ「家庭血圧記録ノート」を頂いていますので、測定を励行しています。このノート記録の良いところは計測することによって自己管理に心がけることになります。

 最近は、定期検診以外は特に医療機関にお世話になることは少なくなりましたが、身体の調子が悪い時は躊躇することなく、早期受診することにしています。ここのところ加齢にかかわらず、以前より受診回数が少なくなってきているようです。

 健康管理面、とりわけ体力気力を保つために努めている事は、出来る限り身体を動かすこと、シニアクラブの毎週月・水・金曜会に参加することです。

 その点では、シニアクラブの諸活動の責任者として先頭に立って活動していることが役立っていると思われます。

  シニアクラブの諸計画の立案や諸報告の作成、会報の編集、趣味活動、さてはブログを書くことなどが健康面に影響しているかもしれません。

 あちこちが痛い、疲れたなど言っている暇がないので、些細なことには無頓着の傾向があるようです。毎日、三食しっかり食事をとっているので、新聞テレビで宣伝されている飲物、薬などの類は今の所あり関心がありません。

 美味しい美味しいと食欲はあるので、その抑制に努めていますが、実際は全てがうまくいっているわけではありません。好物の甘いものも目をつぶって控えることにしています。

 したがって、家人には、わが人生の最後には、たらふく大好物の「ぼたもち」を食べさせてくれと言い聞かせています。

 なぜならば、子供の時母親が作ってくれたぼた餅が最高であったからであろうか。二度のがんを乗り越えたときのぼた餅も最高であった。

85歳老いる雑感(91) 後期高齢者の運転免許と事故防止に心がけていること

 昨年、中日新聞に掲載された記事であるが、内閣府の調査によると、外出時に運転する割合は80歳以上で26.4%と報じられました。私もその中の一人であろうか。

    車の運転免許を取得してから50年以上の歳月が流れました。大事故を起こすことなく今日まで過ごしてきましたが、80歳代になってからは、一層緊張感をもって無事故で過ごしたいと慎重な運転に努めています。昨今の後期高齢者の重大事故を見るにつけわが身に重ねると一層身が引き締まります。

 高齢者にとって、至る所で車を運転しなくなったらどんなに苦労するか、不便となるか同年代から切ない嘆きや悲鳴を耳にします。私は次の2年後の運転免許の更新は行わず、その前に自主円返納することを周囲に宣言しています。長年ゴールドを保持してきましたが、あらゆる状況から判断して、潮時であると固く決心をしておりいます。

 後期高齢者になると、多くの場合、家族など周りから運転停止を勧められる事例を見聞してきました。その中でも、特に強烈に印象に残った事は、他人はもとより自分や家族の一命を落としたかもしれない事故に遭遇して運転を止めるに至った事例でした。

 それは他人事ではないからです。他山の石ということがあります。こうしたことから、家内は運転のたびに「気をつけて」と声をかけてくれます。その都度、注意心を喚起してくれます。スピードを出さず、気力を充実してハンドルを握ることにしています。

 当然のことながら、もし、免許返納予定期限を待つまでもなく、危険操作や不安定な状況が見られるようになったならば、他人に指摘されるまでもなく、自ら返納を決断するとの背水の陣で臨んでいます。これは運転者の責務であると思うからです。

 最近は、基本的には一人で運転する事と夜間の運転を避けて、助手席に家内が乗ることにしています。全てがその通りに必ずしもいかないことがありますが、単独運転では、その分緊張感をもっハンドルを握ることに努めています。

 車の運転によって、他人を傷つけないこと、私に課せられた最大の責務であります。

令和元年6月4日 中日新聞切り抜き記事

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航空自衛隊第1期操縦学生( 66 ) 同期生故井上正彦君の訃報に接して想うこと

 過日のつばさ会のホームページで、第1期操縦学生の井上正彦君の訃報を知りました。既に第1期生会は解散しているので、その永眠はつばさ会のホ-ムぺ-ジ訃報欄にて知りました。訃報を見て元気者のあの井上君がと驚きました。

つばさ会 ホ-ムベ-ジ 訃報

つばさ会会員  井上いのうえ 正彦まさひこ氏は、令和2年6月28日(日)にご逝去されましたので、ここに謹んでお知らせいたします。

                   記

1 通 夜:令和2年6月30日(火)1800 ~   

2 告別式:令和2年7月 1日(水)1100 ~   ※仏式

3 場 所:〒824-0032
      福岡県行橋市南大橋1-1-12   行橋紫雲閣 
      電話:0930-24-0130 

4 喪 主:井上 誠子 様(故人の奥様)

5 備 考:平成2年8月31日退官 
       最終部隊:第8航空団(築城)
       出身期別:昭和30年6月 第1期 操縦学生 
            昭和36年10月 第29期 一般幹部
       生年月日:昭和11年8月31日 享年85(満83歳) 
       つばさ会員番号:190
       所属支部:九州

 一期生の中でも、一番往年の元気があり、同期生会には九州から必ず駆けつける同期でありました。数年前まではいつも長文の手紙を寄越し、資料が入っていました。

 何かと開いてみると、健康法などさまざまなものでした。最近は手紙の代わりに、元日には九州から電話を寄越して、元気な声を聞かせてくれていました。

 青春時代に共に、大空に憧れ、ジェット機操縦者を夢見て、教育訓練に励み、同じ釜の飯を食い、切磋琢磨して操縦課程に進むも操縦適性から免になったもの同士でありました。

 彼は、操縦免となった昭和の30年代、空曹として「航空救難員」の先駆けとして、1期生の重村和彦君とともに今日の救難員・メディクの創設、要員の教育訓練に従事し、この分野での神様的な存在であったと語られています。今日のように救難員・メデックが航空救難の最後の砦として語られたり、新聞テレビで注目を浴びる時代ではありませんでしたが、知る人ぞ知る人物でありました。

    井上正彦君は、小柄ながら、体力気力に優れ、勇猛果敢であった。特に、臆することなく誰とでも積極的に交わる明るい性格はみんなから敬愛された。

 航空救難員から早い時期に幹部候補生試験に合格して、教育幹部として航空自衛隊の充実発展に貢献したものであります。

 残念ながら惜しい同期生が逝ってしまいました。故井上正彦君のご冥福をお祈りいたします。

 あらためて、第1期生徳田忠成君の編集した「第1期操縦学生の軌跡「天翔ける群像」(出版社・株式会社ジョス)」を読み返してみて、すでに鬼籍に入られた多くの同期生の回想記を拝読し、人生の活動期を振り返りました。各界で活躍した同期生は逸材、異色で才能に優れた人材が多く彼らの回想記は宝石のような光を発しています。もっと多くの同期生に筆を取ってもらいたかったと惜しまれます。いずれも航空学生制度50周年を機に、本当によくぞまとめてくれたものだと感涙しました。

 浜松在住の同期生会も、コロナ禍でしばらく中断となっていますが、再開時は何人集まることができるであろうか。