過日のつばさ会のホームページで、第1期操縦学生の井上正彦君の訃報を知りました。既に第1期生会は解散しているので、その永眠はつばさ会のホ-ムぺ-ジ訃報欄にて知りました。訃報を見て元気者のあの井上君がと驚きました。
つばさ会 ホ-ムベ-ジ 訃報
つばさ会会員 井上 正彦氏は、令和2年6月28日(日)にご逝去されましたので、ここに謹んでお知らせいたします。
記
1 通 夜:令和2年6月30日(火)1800 ~
2 告別式:令和2年7月 1日(水)1100 ~ ※仏式
3 場 所:〒824-0032
福岡県行橋市南大橋1-1-12 行橋紫雲閣
電話:0930-24-0130
4 喪 主:井上 誠子 様(故人の奥様)
5 備 考:平成2年8月31日退官
最終部隊:第8航空団(築城)
出身期別:昭和30年6月 第1期 操縦学生
昭和36年10月 第29期 一般幹部
生年月日:昭和11年8月31日 享年85(満83歳)
つばさ会員番号:190
所属支部:九州
一期生の中でも、一番往年の元気があり、同期生会には九州から必ず駆けつける同期でありました。数年前まではいつも長文の手紙を寄越し、資料が入っていました。
何かと開いてみると、健康法などさまざまなものでした。最近は手紙の代わりに、元日には九州から電話を寄越して、元気な声を聞かせてくれていました。
青春時代に共に、大空に憧れ、ジェット機操縦者を夢見て、教育訓練に励み、同じ釜の飯を食い、切磋琢磨して操縦課程に進むも操縦適性から免になったもの同士でありました。
彼は、操縦免となった昭和の30年代、空曹として「航空救難員」の先駆けとして、1期生の重村和彦君とともに今日の救難員・メディクの創設、要員の教育訓練に従事し、この分野での神様的な存在であったと語られています。今日のように救難員・メデックが航空救難の最後の砦として語られたり、新聞テレビで注目を浴びる時代ではありませんでしたが、知る人ぞ知る人物でありました。
井上正彦君は、小柄ながら、体力気力に優れ、勇猛果敢であった。特に、臆することなく誰とでも積極的に交わる明るい性格はみんなから敬愛された。
航空救難員から早い時期に幹部候補生試験に合格して、教育幹部として航空自衛隊の充実発展に貢献したものであります。
残念ながら惜しい同期生が逝ってしまいました。故井上正彦君のご冥福をお祈りいたします。
あらためて、第1期生徳田忠成君の編集した「第1期操縦学生の軌跡「天翔ける群像」(出版社・株式会社ジョス)」を読み返してみて、すでに鬼籍に入られた多くの同期生の回想記を拝読し、人生の活動期を振り返りました。各界で活躍した同期生は逸材、異色で才能に優れた人材が多く彼らの回想記は宝石のような光を発しています。もっと多くの同期生に筆を取ってもらいたかったと惜しまれます。いずれも航空学生制度50周年を機に、本当によくぞまとめてくれたものだと感涙しました。
浜松在住の同期生会も、コロナ禍でしばらく中断となっていますが、再開時は何人集まることができるであろうか。