浜ちゃん日記  苑主天野和幸さんの「ばらの都苑」を訪れて

   去る3月19日午前、夫婦で「ばらの都苑」を訪れた。浜松市中区花川町のバラ園には、わが家から車で20分もあれば到着である。今回は花を観るというより最近の「ばらの都苑」の全体像と整備状況を見ることにした。

 苑主の天野和幸さんが、亡き奥様を偲んで手づくりのばら苑を開いたのは、今から21年前であった。

 最初に「ばらの都苑」を訪れたのはいつだったか、振り返ったが思い出せない。新聞記事を見て出掛けたことだけはしっかりと覚えている。「薔薇の20ひとりごと」(2003.5.1)の説明板があったのもよく覚えている。割合早い時期からであったようだ。その後は毎年花期になると訪れて夫婦で見事なばらなどを楽しんだものである。

 特に、強烈に印象に残っていものの一つに、苑の後方にどっしりとした富士山をイメージしたばらであった。目を見張ったものである。

 立ち上げの当時からすると、毎年新しいヤグラが作られて、花の品種と数が増えて楽しみであった。天野さんの抜群の発想とアイディアは目を見張るものがあった。

 当時と今を比較してみようと思ったが、当時の写真はパソコンに入力して保存していたが、故障して破棄してしまっていた。

 なぜそこまで、私財を投じて、「ばらの都苑」を設け20年余にわたり、花木の一本・一草・一葉・一花に愛情を注ぎ、黙々と手入れをされきたのかを知らないと、「ばらの都苑」のすごさを理解できないであろう。そこには素晴らしい愛の人生ドラマがあるからである。

 そこで、過去の中日新聞に「ばらの都苑」を紹介した素晴らしい記事があったので、その一部を抜き出し、今日の時点に置き換えて、紹介してみたい。(話題となった当時、古い小屋の中には、各新聞の掲載記事が掲示されていたことを思い出した。また、小屋の前に当時からの古びた薔薇の看板・「薔薇のひとりごと」が掲げられていた。)

中日新聞記事の一部

「3.000平方メートルの花壇に、赤やピンク、白など300種、1.500株以上のバラが咲き誇っている。」
 「妻の都さんとは28歳の時、8歳差で結婚した。当時、天野家は両親と4人の弟妹を含めて8人の大家族。家事をこなしながら兄弟で起こした鉄工所を手伝ってくれた。3人の娘を育て上げ、鉄工所横の茶畑も世話した。「女房が支えてくれたから、いろんなことができた。」

「(22年前)、都さんは49歳で亡くなった。末期の肺がんと診断されて3カ月後だった。49日の法要後、供養と感謝をするため、茶畑を崩してバラ園にすることを思い付いた。」

「それは、ホスピスに入る前、都さんの希望で最後に2人で出掛けたのが島田市のバラ園であった。「あそこ以上のバラ園をつくろう」と心に決めた。一人でやってこそ供養だと、設計から1.000株のバラ苗の植え込みまで、全て自力で一年半かけてつくり上げ、平成12(2000)年5月27日に観覧無料で開園した。」
 「現在、園内には「心」をテーマに門やタワーなど金属パイプで作ったモニュメントが並ぶ。ハナモモやユリ、クリスマスローズ河津桜と、花の種類も増やし、来園者を飽きさせないよう工夫を凝らす。」
 「平成27(2015)年には都さんへの思いを知ったカップルが園で挙式。平成28(2016)年には全国花のまちづくりコンクールで最高賞を受賞した。観光園ではないが、口コミで人気が広まり、近くの園児や住民だけでなく、県外のツアー客もやって来る。」

とあった。すばらしいの一語に尽きる。
 今日も、人影のないは園内で黙々と手入れをしている天野和幸さんの姿があった。

 私も平成29年'(2017)、花のまちづくり全国コンクールにおいて、「神原町花の会」が地域の部で、大臣賞に次ぐ、「優秀賞」に輝き、代表として東京の晴れの舞台で賞状を授与されたことがあった。

 天野和幸さんは、その前年、平成28年(2016)の全国花コンクールで、精根を注いだ妻に捧げたバラ苑が、個人部門において、「花のまちづくり大賞 農林水産大臣賞 」を受賞された。まさに日本一の最高の賞である。

 受賞後、「浜松市オープンガーデンの会」総会で、背広に身を正した天野和幸さんがプロゼクターを使って、詳しく受賞報告をされたことがあった。その偉業に全員が惜しみない絶大なる拍手を送ったことを思い出した。

 日本一の受賞がいかに大きなものであるかは、表彰式に参列してよくよく分かった。

 最高の大臣賞ともなると、その努力の結実は千金万金以上の値打ちのあるものであった。天野和幸さん自身はもとより亡き奥様への最高の受賞であったように思う。これからは、多くの方が「ばらの都苑」を訪れて、鑑賞してくださることが最高の大衆賞であろう。

 5月の連休ごろになれば素晴らしい花々が見られるであろう。その時期にはぜひ夫婦で再び訪れたい。

写真でつづる「ばらの都苑」の全体像

❶ 「ばらの都苑」

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❷ 「ばらの都苑」の入り口から

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❸ 「ばらの都苑」の各所

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《 最初訪れた時、一番奥の富士山を形どった壮大なばらが強烈に印象に残っている。》

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《 苑主の天野和幸さんが左の区画で一人で黙々と手入れをしておられる姿が見られた。》

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❹ 創設当初から掲げられていた「薔薇のとりごと」

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《 2003.5.1とある。今から17年前だ。》

❺ 花模様

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❻ 「ばらの都苑」入口・駐車場左の畑 何んの花模様デザインか

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