84歳老いる雑感(85) おおざっぱな生き方と他人への寛容

    老いる毎日の生活の中で、自分の生活はおおざっぱである。他人から見れば几帳面に毎日を暮らしているように見えるが、模範的な生活をしているかと言うとそうではない。

     若い頃から公私にわたり、事前に綿密に計画準備をするが、実行段階においては、あまり計画の細事にこだわらず、状況に応じて対応していくタイプであった。実行は大胆に行うことにしている。

    特に、歳をとってからは、毎日の日常生活においては、その日の体調、行動予定、天候など様々な事柄によって前日に考えていたことを臨機応変に変更したりしている。

   その点では、後期高齢者は自由人であり、毎日の行動の大部分が自分中心のものであるから、状況に応じて変更しても他に迷惑をかけることが少ない。

   ただし、公的なことや他人と約束したことは必ず守るにしている。どうしてもできないことは相手方に事情を話して了解をいただくことにしている。

    この点を除けば、自分自身のことは大まかであるので、大病もしたが長持ちしているようだ。大まかで細事こだわらないことが、自分にとっては結構居心地の良い毎日となっている。

    世間一般の80歳代からすれば色々なことをやっているので忙しい面もある。状況を見て出来ないことはあっさりと諦める。これが几帳面すぎて、毎日を計画通りに過ごしていたら、今頃は心身が持たなくて病気になってしまって、あの世行きになっていたであろう。

    自分がおおざっぱであるから、他人のこともあまり気にならない。他人のことに関心を持ちすぎたり、批判しだしたらきりがない。

   年寄り集団の代表をしているので、皆さんには、歳をとるにつれて、忘れたり、間違えたりすることを、お互いが許容し合うことをお願いしている。高齢者集団においては、調和と他人への寛容が一番大事であるように思うからである。

    人間は神様や仏様ではない。わたくしなどいくら歳を重ねても至らないところだらけである。そうであるが今更直せないから、これもあまり気にしないことにしている。細事にこだわらず、おおざっぱなところから来ているせいかもしれない。