84歳老いる雑感(84)   自分で自分を老け込ませない努力

    この頃は年の過ぎるのが速く感じられる。今年は5月に満85歳となる。まさに馬齢を重ねているが、生きとし生けるものは誕生・成長・最盛期・老化衰退・死亡・昇天をたどっていくものである。老いることはその過程に過ぎない。

    生きているから老いるのであって、老いることは生きている証拠でもある。決して嘆き悲しむことでもない。すべて命あるものが経ていく当然の過程であるからだ。自然界の摂理を素直に受容して従わざるを得ない。無駄な抵抗をしても自然の摂理に勝てるわけがないからである。

   歳を重ねるにつれて、老いることは命ある限り必然であるが、 自分で自分を老けこませていくことはないように思う。年寄りの冷や水(  老人が冷水を浴びるような、高齢に不相応な危ない行為や差し出がましい振る舞いをするのを、警告したり冷やかしたりしていう言葉。)で無理に虚勢を張る必要はないが、高齢者同士の会話の中でも、ついつい「歳だから」と全てに消極的な姿勢になりやすいものである。

    チャンスがあってもやるまえから理屈をつけてやらない。取り組まない。ある面では、言い訳であり、自分の心を納得させるために使っている面がある。結果的にはこうしたことが重なっていくと、本当に老化が著しく進んでいく事例をいくつも見てきた。

 穏やかには徐々に老化は進んでいくものであるが、病気や怪我などを境に一気に老けていくのが現実ではなかろうか。特に気力の衰えは老け込む要因の最たるものである。

    老いが進むにつれて、体力的にできること、できないことが区別されてくる。それにつれて気力が衰えてくる。できる限り健康寿命を保ち、老け込むことを遅らせたり、心身をしっかりと保つには、できることは積極的に、できる範囲でやってみることが必要ではなかろうか。

 そう思いながら毎日の生活を心がけている。 自分で自分を老け込ませない努力大切ではなかろうか。

番外

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《 先日、浜名湖畔のガ-デンパ-クを散策したおり、メジロが数羽いて元気に山の幸をつついていた。野鳥の世界では高齢化はどうなっているだろうかと想像した。》