昭和の航空自衛隊の思い出( 465) 子息が誇る 創設期の航空自衛隊を築いた防人

1 子息が誇る創設期の航空自衛隊を築いた防人

   去る10月22日午後、浜松写真連絡協議会の会員写真展の受付当番の折、部内幹部候補生同期の坂井健次氏のご子息が訪れお話しすることができた。同期といっても8歳ほど上の大先輩の坂井健次さんはすでに旅立たれておられた。いろいろとお話を伺い、ご子息が父親の航空自衛隊における功績と栄誉を誇りにしておられることを強く感じ感動したものである。こうした方が元自衛官家族には多くあることが嬉しい。

   家に帰ってから、そのことを家内に話したら「立派な息子をもって幸せな親だったね」と返事が返ってきた。まさに幸せな自衛官家族であったと同感であった。

 わたくしのつたないブログに登場される昭和の時代・創設期の航空自衛隊を築かれた父親や祖父の活躍や功績を知り誇りにされる方が多い。厳しい時代に自衛官として黙々と任務に専念する姿や生き様を眺めながら育ったせいであろうか。

 坂井さんのご子息の語る父親像を知るにつけ、これを機に、創設期、建設期の航空自衛隊の往時を回顧すると、青年時代を思い出すとともに一騎当千の一人一人の部内同期を思い出した。

 坂井健次さんは、いぶし銀のごとく部隊の大先任として活躍され、23期の重鎮として存在感のあった方であった。一緒に浜松基地から部内選抜試験に合格したことを記憶している。

 改めて第23期一般幹部候補生(部内)出身者の名簿に目を通してみると、半数以上が逝去されている。顧みると全員83歳以上で、上は95歳に達しようとしている。幹部候補生学校に学んでから59年の歳月が流れているからだ。

2 わが自衛官人生における部内幹部候補生時代

    私は、昭和35(1960)年2月1日、1等空曹・一般幹部候補生に任命され、第23期一般幹部候補生(部内)として幹部候補生学校へ入校した。ときに24歳9月であった。
 昭和30年6月、航空自衛隊第1期操縦学生として入隊し、操縦学生基本課程、英語課程及び操縦課程に進み、操縦幹部を目指したが操縦課程中途で飛行適性面から操縦免により大空への夢は破れた。一般隊員として、部隊の勤務経験を重ねながら挫折と苦悩を経て新活路を見い出し、新たなる人生を歩むこととなった。
 それは、2等空曹に昇任し1年経過すると受験資格ができるや、部内からの一般幹部候補生選抜試験に挑戦した。何としても、大空への夢を語り厳しい教育訓練に励んだ同期の飛行幹部候補生の姿を見るにつけ、「第1期の同期の後尾に付きたい」という心から湧き出る意欲と固い決心であった。その固い決意と苦節の精進が実っての入校であった。
 第23期入校者60名のうち、操縦免となった第1期操縦学生出身者10名が初陣で初心を果たし、操縦免となった者の新たなる進路を開くことになった。  

 昭和35年2月幹部候補生学校に入校した第23期一般幹部候補生60名は部内選抜組だけに年齢構成・職種・隊歴等様々な幹部候補生の集まりであった。
 23期は2個区隊で編成され、6区隊31名、7区隊29名であった。私は7区隊に属した。体育・訓練ともに競り合うことが多かった。

3 わが幹候23期の区隊編成と特色

 区隊編成

❶ 6区隊 区隊長上田1尉、

 *山田繁・岡崎竜一・工藤哲男・福田正美・中村克己・木村衛・*千綿安次・

*宝官賢治・前田勲・古賀健彦・柴森博彦・

川村修・氏岡登・坂井健次・*高橋洋

*猪膝康二・中島孝光永康人・*恩田守・

荒川洋一郎・永滝雄二・橋本峰夫

・米塚光雄・浜田耕司・増本繁・二宮務・

井口茂人・芳賀啓行・真鍋仁久・

有田周治・栗林庄蔵の各氏、(*印は第1期操縦学生出身6名 》

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❷ 7区隊 区隊長近持2尉

 斎藤隆男・猿渡久雄・津山敬史・秋山達郎・木崎剛・井嶋柳一・長田乾・杉本晃庸・

園田顕二・福迫光治・日下与志雄・中村順一・上野寿郎・杉山衛・上田正三・

*村田隆・*菅信介・*熊谷邦之助・

*濵田喜己・矢野幸男・佐藤文夫・乗富魁男・

関良知・本郷敏廣・小野田正一・中瀬薫・

橋本昌和・高畑賢一郎・菊池通裕の各氏

(*印は第1期操縦学生出身4名 》

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② 幹候23期の特色
❶ 部内からの選抜という点から同期生間で年齢差があった。第23期の同期生の中では、24歳前後の第1期操縦学生出身者10名が初めて入り、一番の若手組となった。
 とりわけ、上は35歳から下は24歳と10歳余の幅があり、人生経験や職種も多種多様で、課程の教育訓練以外でも人生勉強に役立つことになった。
❷ 年長組は隊務歴が豊富で、旧軍の軍歴のある者もおり、特技の熟達者・専門家、理論派とリ-ダ-格が多かった。部隊等においては大先任空曹として活躍しているものが多かった。一方、若手組は学習能力と体力に優れているものが多かった。また、創設期の航空自衛隊において、日米の相互協定によりアメリカ合衆国へ留学し、専門特技の先覚者となっているものが多かった。
❸ 各人とも個性が豊かでお互いが学び合うものが多かった。とりわけ人格識見に優れたものが多く、指揮統率力に優れているものが多かった。

4 自衛官家族の誇り

 令和の新しい時代が始まった。創設期の航空自衛隊を築いた第23期一般幹部候補生(部内)諸兄のご健勝と天国へ旅立たれた大兄の皆さんのご冥福をお祈りする。

 昔も今も、自衛官の基本任務は同じである。自衛官の家族は、配偶者・親・子供の立場から生命をかけて国家・国民を守る使命に誇りを持っている。国民の支持と家族の支えこそ任務遂行の原動力ではなかろうか。

 

2014-12-29
昭和の航空自衛隊の思い出(64) 異色の第23期一般幹部候補生(部内)参照