昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
ワッペン特集も32年の 歳月を経ると、昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。
最後に、硫黄島基地隊と警戒航空隊を紹介することにします。
平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
令和の時代に関しては、当該部隊のホ-ムベ-ジで確認できるものだけにしました。
【現在の感慨】
❶ 硫黄島基地隊は、空幕人事課人事第2班長当時、定期便を利用して入間から硫黄島を訪れ勤務環境の実情を確認し定期的な人事異動交流計画に資した。部隊内はもとより島内を研修し、戦史をひもとき激戦の経過をたどり洞窟に入り山頂に立って往時をしのんだことが昨日の事のように思い出される。
❷ 警戒航空隊は、本部が浜松にあり、毎日E-767(AWACS)の任務飛行の勇姿を眺め任務の完遂と飛行安全を祈っています。
昭和の時代 硫黄島基地隊 ( 硫黄島)シンボル・マーク
令和の時代 資料なし
昭和の時代 警戒航空隊(三沢)シンボル・マーク
令和の時代 警戒航空隊(浜松・三沢・那覇 ) 出典 航空総隊ホ-ムペ-ジ
警戒航空隊は、E-767(AWACS)を浜松基地に、E-2Cを三沢基地及び那覇基地にそれぞれ配備し、早期警戒を任務としている部隊です。
【所在基地:浜松基地、三沢基地、那覇基地】